2007・H19 6月 下へ  下へ
2007年6月30日(土)
社会現象と背景を観察する

日本は今一番元気がないときですね。
これが、憲法を改正し、自主自立をして軍事力に責任を持つようになれば、背筋もシャンとするんでしょうが、敗戦後武士道も骨抜きになり、自分の中に寄って立つものがない状態は若者のふしだらなファッションにまで反映しているような気がします。
3万人の自殺者、鬱の蔓延の振り子が、反対側に振れたときにどんな現象となって現れるのか、意識の変化と現象の立ち現れ方を見抜き、観察者の眼でしっかりとみて、現象に振り回されることなく、中身無く舞い踊ることなく、透徹な眼で中心の芯を見続けたいと思います。
現在の社会現象の背景を認識し、政治的に社会的にどのように移りかわってゆくか、自分なりの理論的後付を持てたらいいなと思います。
個々は自分単位で動いているのに、全体として総称として後から見れば推移していることは、我々個々に深いところで共有的に認識を同じくしている部分があるのではないのかという思いも湧いてきます。
同友相携えて、近未来の日本と世界を作る、緩慢なる日常を生きていきましょう。
ヴェネチィアで息抜きしながら。

2007年6月29日(金)
日本丸よ、何処へ行く

ボーナス日です。
お金は生活を支えると同時に、生き物のように機能して、国の政策やらランクやらまで決めてしまう要素をもっています。
我々使う人の意識を反映とすると思えるので、いつも問われているのは我々一人一人の総体としての意識なんでしょう。
税が我々の生活を豊かにする機能を有しているときはいいが、今のように制度疲労を起こしてしまうと、リセットして現状にあうように組み立て直す必要があります。
どこをどうすればいいのか。
どこが無駄なのか。
退職金を何千万ももらった。天下りして仕事も無く秘書まで付いているとか。聞こえてくるのは庶民意識からかけ離れた話しが言われている。
権益を我々の前に示してチェックする機能が何も無く、「よらしむべし知らしむべからず」をどう打ち壊していけるのか。日本に民主主義は育たないのかな。

横並びの日本株式会社組織は次のシステムを見出せずにもがいているように思える。
官僚が日本を指導するシステムはもう機能していないが、次の戦略も無い。
アメリカの戦略の前に経済戦争でも出遅れてしまったようだ。

守勢に廻っているが、日本にはまだ底力があるはず。
倫理観や武士道精神を内に秘めている日本人がいる内に、次の明かりをめざせる様に望みたい。

2007年6月28日(木)
3つの年齢を生きる

我々はよく「おいくつですか?」などと年齢を尋ねたり尋ねられたりする。
この時の年齢はカレンダー年齢でその他にも年齢はあるんだそうです。
・カレンダー年齢
・肉体年齢
・心の年齢
の3つがあります。
肉体年齢は、「あなたの血管年齢は80歳代です」と言われると、「エー」となるのが肉体年齢で、骨密度だとか、筋肉とか、肉体の部位での年齢を指摘されることが多いです。
これに対して、心の年齢は歳を取らないので、自覚が生まれにくいのです。
周りはあなたを見て感じた年齢であなたを判断するから、外から見たら若く、血色良く、筋肉もあり、贅肉もなく、スマートで、活動的に過ごしていたら、自分に対する自信も生まれるわけです。
無理が利かない、階段を下りるのに注意して一段一段降りるようなら、そういう自分を自覚して生活していくわけです。
贅肉でウエスト90センチ以上のメタボを抱えて心配すれば、持っているDNAと自分とのせめぎ合いは大変なストレスにもなります。
肉体年齢を、10歳はサバを読める身体を維持したいものです。
心の年齢は、歳を重ねただけの老人になるのではなく、長老と言われるような言う事に知恵と経験に裏打ちされた人になりたいものです。

2007年6月27日(水)
いい歳を取ってますか?

最近読んだ本の中に、男性が歳を取ったと感じる場面
が載っていました。
・白髪が増えてきた。
・髪が薄くなってきた。
・贅肉が増えてきた。
・性欲が失せてきた。
・体力が低下した。
この5つの中で、「体力が低下した」ことに初めに愕然とするらしいです。
失ってから、初めて運動や健康を意識して、なにかをやりだすようです。
我々は、いつでも何となくダラダラと過ごすことも出来るし、計画的に目的を持って過ごすことも出来る。
時間をどう使って、自分に投資していくかも、結局はその人らしさが出るんで、総体としての自分を形成していくことが大事になるのでしょう。
自己形成は、運動や健康面だけでなく、精神面など多方面に及ぶから、時間を何に投下するかという、タイムパフォマンスが大事になるわけです。
健康のための理論を身に着けて、実践をしっかりやって、心身ともに健康体でヴェネチィアにいらしてくださいね。

2007年6月26日(火)
海でもう・・泳げない

海開きは、まだなんでしょうか?
照りつける太陽の下の海で過ごすよりも、今日のような曇った天気の日に海で過ごしたほうが、波打ち際を散策したりして、過ごしやすいような気がします。

川から、汚物や、産業廃棄物や、土砂が、最後には海に流れ込むんで、原子力船も沈没したとかいろんな話しがあって、海で泳ぐのは考えてしまいます。
海は全てがつながって、絶海の孤島といっても、海つながりで世界とつながっている。
中国が木を植えずに、世界に黄砂を撒き散らしている。
バスに乗るのも、我先に乗ろうとする中国人をテレビで見ると、中国では住めないと思う。
個人でも、責任を放棄して迷惑を回りに及ぼしながら暮らす人がいる。
自分の管理をできずに周りに迷惑を及ぼす人にも、人権があって守られている。
加害者の人権を守って、被害者の人権はどうなるんだと裁判制度を揺るがしている。
小さい人ほど、私が、家族がと、小さな自分の居場所を守ろうとする。
どんな社会が将来できるのか。
今の延長が将来だから、現在かかえる問題はまったく解決されないままに、環境問題も拡大再生産していくと思う。
人は変えられないから、誰もが、自分自身を変革向上することことが、一番確実な社会変革になるから、自分に向き合うしかないな。

2007年6月25日(月)
もう風邪を引かないぞ!

気をつけていても、何が起こるか常に予測が出来ない見通せない社会です。だからこそ自分の行動はしっかりとして自分の健康は自分で維持する必要があるのに、風邪を引いてしまいました。

理性的に意識は活動していても、その裏では、一定の吸引排気の息を寝ている間の無意識でもしている。
脈も一定に、心臓が血液を送り出している。
体温調節はいつの間にかやってくれている。
自分自身の身体を制御するのに自分の意識はまったく感知せずに済んでしまう。
考えるとすごい精密機械のような身体で生きているのですが、一方ではそれらの動きを理性が制御出来ていない。
例えば風を引いたときに、悪寒がしたり、熱が出て初めて風邪かなと気が付くわけですが、粘膜に菌が付着し、マクロファージが出動するのに、理性が気が付いていれば、体力を消耗させずに早めに寝るとかするだろうに、分からずに惰性で行動して後に寝込むとか仕事を休む事態に発展している。
人間の身体の機能と、思考する機能の、連携の進化が、まだ完璧ではないので、病気になったりするんでしょう。
不完全な人間の機能を理性でフォローできるか?

今回、喉に風邪の菌が付いて、1日中布団から離れられなかった私なのでした。
日頃から健康管理も自己責任を自認している私としては、口呼吸はせずに、鼻うがいも欠かさずにしていたのに、あー、そういえば口うがいは、歯磨きの後に歯の菌を無くす液を口に含んでしばらくいるだけで、特に口うがいをしてなかった。それが原因か?

次からは超音波電動歯ブラシで歯磨きをして、歯間ブラシに磨き液をつけ電動歯ブラシにセットして磨き、鼻うがいをして、喉をイソジンヨードでうがいして、歯周病菌を予防する洗口液をやって、忙しいナー
そこまでやらんと完璧じゃないんだなー
ヨーシ!

2007年6月21日(木)
基軸通貨と世界の将来を論じる(大きくでたなー)

日本人は、一人一人は他の国と比較してもけっして能力的に劣るとは思えないのだが、完全にアメリカの術中に日本も世界中がはまっているように思えてなりません。
あるとき急にアメリカの大統領が世界に向けて発表しました。
金本位制を捨てて、ドルを機軸通貨にすると決めたわけです。
それ以来、アメリカが他の国から借金をしてもドルを印刷すれば良いだけになってしまいました。
貿易といいながら底なしの打ち出の小槌を持っているアメリカは、世界中を恫喝できる軍事大国でもあります。
アメリカの政治は理想を実現するものでも、世界平和を求めるものでもなくて、自国の利益を最優先するシステムです。
政策は産業団体の利益を実現するロビイスト活動によって決まっていきます。
アメリカの最大の産業は軍需産業。
戦争がないと兵器が売れずに困る産業です。
軍需産業を活性化する政策とリンクされます。

世界機軸のドルに対抗して、日本ではユーロも元も使えるようにして、ヨーロッパでは円も元も使えるように、中国も同様にすれば基軸通貨の効果も減るのじゃないだろうか?
それとも世界通貨を厳粛な管理の下に発行して、各国が貿易の清算には世界銀行から、自国通貨を世界通貨と交換して払う。
世界銀行に多く溜まるお金の発行元の国のレートは下がるようにすれば、良いんじゃないか。
日本のように、世界中に製品が売れる国は世界通貨を多く持って、円の価値を上げることが出来る。

ブログ上で何を言っても、ここだけだからなー。
これは、世界中の心ある人が思っていることでもあるんだが、世界の行く末は決して力関係で決まるんじゃないと信じたいなー。

2007年6月18日(月)
環境問題、ゴミ問題を論じているんだなー

スーパーの袋が、有料化に動き出した。
買い物して、家に持って帰るまでに使うだけで、土にも戻らず永久的にそのまま現存するビニール袋。
ゴミ問題にも、環境問題にも喜ばしい一歩である。
この世にある物は、長さの違いはあっても、全てゴミになるものです。
消費財はもちろん、家も、橋も、道路も、電柱も、ありとあらゆるものが何年後かには全てゴミや廃材と化す。
かわいいとか、めずらしいとか言いながら、様々な物を購入するが、買うときに必要性と、使って楽しむ長さを考えて買っている人がどれだけいるだろうか?
生活に必要なものは買わざるを得ないが、すぐに捨てるものまで簡単に買っている。
一番不要なものは包装材だが、不必要なものは上げればきりが無く見つかるだろう。
スーパーの袋を作っていた会社は、存亡の危機に立たされているのだろう。
ゴミ問題は、物を作ったら、物を捨てるときに解体分解する費用までも、その製品に付加するべきを教えている。
一国が製品に解体費用を上乗せしても、他の国が安い価格で販売すれば競争原理で負けてしまうので、国際的に取り決める必要がある。
今までは、各個人が欲望を追求していけば、それが結果的に最良の経済効果を生むという、資本主義の神話はとうに終わった。
環境問題は、ゴミの垂れ流しを許さない状況を生んでいる。環境問題は個人の自由や資本主義と対峙するように迫っている。
資本主義はどうなるんだ。

ヴェネチィアはゴミになる製品を作らない。言葉やサービスによるお客の満足を追求するから、とってもクリーンです。

2007年6月16日(土)
どう過ごす?林住期

今日は暑かったですね。
梅雨の時期に猛暑、私はありがたいですけれど。
農業の人は困っているのかな?
工業労働者が多い若者壮年、農業や1次産業の老年時代で天気の受け取り方がだいぶ印象が違うような気がします。
私も土と共に自然の中で暮らす生活を観念的には受け入れながら、自然や季節を感じるのは、天気だったり、草の伸び方だったり、スーパーの魚だったりくらいです。
林住期をどう過ごすかは、林に住むと書くくらいだから、自然と共に過ごす、小さな畑を耕し自分の食べるものは自分で作るような生活を夢想するが、庭の花の名前も知らない、庭に水をやる以外に草花に接する方法を知らないような私はどうすればよいのだろう。
パソコンの前に陣取り、事あれば何でもネットで検索して過ごす私の林住期はどうあるべきなのか。
自分の近い将来のあるべき変化を、社会変化の中にどう位置づけるか。
自分一人がジタバタしても仕方ない、社会の流れの方向に自分の将来を重ねていくしかない。
出来れば自分が時代の先取りをしていければ、自分の身体も精神も自分が強く作っていき、自分のことは自分でやり、社会に負担をかけることの無いようにして行きたいと思う。
センテナリアンを希求する私としては、林住期を計画的に過ごし、遊行期に行きたいと思う。
社会は常に大変動にあることを歴史は教えている。
大変動が当たり前であれば、深刻になることなどないんである。人間の寄り集まりが国であり、世界であるから、日本の立地は太平洋戦争で明確になったように、資源の無い国だから平和外交に徹する以外に方法は無いんだし、この日本で、林住期、遊行期を送るしかすべなき身なれば達観して迎えるしかなしや。
今日はヴェネチィアが出なかったなぁー。

2007年6月13日(水)
食事のときに

毎日、三度の食事をどのように過ごしているでしょうか?
昔はよくご飯を残すと、目がつぶれるとか、ばちが当たるとかいわれたものです。
私はおかずが少なかったから、残すなんてありえない時代状況でした。
親や祖父母が食事の後に「ごちそうさま」と言いながら箸を手に持ち、拝んでいました。
今の私はというと、食事のときは作物を作ってくれた人と料理を作ってくれた人に、感謝をするように心がけています。
それと命をささげてくれた魚や牛や豚や鶏や野菜などに感謝して、「私が、命を引きついで生きるから、応援してくれ」と心の中でつぶやくのです。
彼らの命を、私の責任として背負うように自分に仕向け、自分の生き方にいっそう重い責任を科すわけです。
そうすれば食事の時間は、感謝と、供養と、責任を認識する荘厳な時間になります。
時に忘れて、無意識に箸を口に運んでいる自分を発見しては、反省しています。
コンビニ弁当やパンなどを食べている時は、特に感謝を忘れてしまいます。
命を、私たち人間のために捧げてくれたものたちに、恥ずかしくない生き方をしようと心がけながらも、いつもと同じ日常に埋没してしまう自分を、食事のたびに意識することで、少し自分が変わっていくかも知れませんよ。
さぁ、今から食事です。
感謝と、供養と、責任を自覚しながら食べましょう。

2007年6月9日(土)
日本と世界の動向を危惧する

平和が60年以上も続いて、日本の中にいると平和が当たり前のように感じています。
テレビではドラマで恋愛や殺人を流し続けています。
チャンネルを変えればお笑い番組が笑いを取っています。

しかし、世界ではますます不安定を増しているように感じます。
北朝鮮は対潜水艦へと思えるロケットを発射し、日米が展開しているであろう艦隊への攻撃を想定したものでないかと思えるやり方です。
今、日米が北朝鮮に攻撃を仕掛ければ、核攻撃を日本に向けてこないとは言えません。
北朝鮮の原子炉凍結はどうなったんでしょうか?

東西冷戦は終わったとはいえ、ロシアの動きも中国の動きも言葉に力関係を感じます。
同じ宗教者同士でも宗派の違いで殺し合いをしている現状を見て、一口にテロと片付けられない複雑さです。
怒りが怒りを呼び、恨みが恨みを呼んでいます。
CIAなどの謀略機関の国が、具体的にはアメリカなんですが、かく乱戦術で殺し合いをさせながら、イスラム教をターゲットにしたキリスト教のホロコーストじゃないのかとうがった見方をしてしまいます。
今までのアメリカの戦争の歴史が、先住民を殺してアメリカを建国し、カメハメハ大王を殺しハワイを取り、日本への石油を止め日本が宣戦布告する以外に無いように仕向け、真珠湾攻撃では日本が攻めてくるのを知っていて古い艦体だけ置いて自国兵をも犠牲にしてまで「パールハーバーを忘れるな」と世論をあおり、イラクに大量破壊兵器を作る能力が無いにもかかわらず石油が欲しいために戦争を起こす。
アメリカには、世界の平和や、環境問題や、理想などはなく、自国の利益しか考えてないのではと思えるような行動ばかりが目に付いてしまいます。
ひるがえって我が日本は、中国詣でする議員や、プロレスラーの議員や、議会が芸能人の天下り先なみの現状に衆愚政治を感じるのは私だけではないはずです。
日本はこのままではどうなってしまうんだろうか?
アメリカの占領政策の3S(スポーツ、スクリーン、SEX)がしっかり浸透し、「楽しければいいじゃない」の空気が蔓延し、新しい時代の形は見えてこない。
江戸時代に文化の花が咲いたように、天下泰平をいいことに目と耳と口を閉ざして、自己満足の世界を追うのも方法ではあるんだが。
いっそ、ベネの仕事に埋没しようか・・・。
国民年金の問題もミサイル一発で吹っ飛ぶから、一番北朝鮮からの攻撃を望んでいるのは社会保険庁の職員なのではないのか??

2007年6月8日(金)
記憶はどこまで確か?(3)

ましてや他人の語る記憶の物語を聞いて、納得できるのかということがある。
岡田多母の”へその話””愛しのテラへ”。特にへその話は全部が神との会話なのだが、会話にならない会話に思える。でよく解釈と記憶が出来たものだと思う。
しかし自分が同じことを経験したら、同じように思うだろうと思う。
神がいるかも、あの世があるかも、何のために宇宙が存在するかも、私が存在する意味も、物が存在することも、人はなぜ不平等なのかも、全て謎なのだと思う。
もともと意味など何も無くて、全てカオスの芥子粒に過ぎないのかも知れない。

2007年6月3日(日)
記憶はどこまで確か?(2)

良く前世の記憶が蘇るなどというが、私はどちらかと言うと前世も過去世も、あるという必然性が何もないと思っているほうなので、輪廻転生で魂が不滅だったら嬉しいが、証明できない話をそのまま信じる人間ではないのです。
かといって輪廻転生をあつく語る人に反駁もしません。証明の出来ないことに時間を費やしても仕方ないと思っているのです。
「まぁ、どっちでもいいや。どうせ分からないんだから」という感じでしょうか。

脳のひだに仕舞い込まれている記憶をどこまで信用できるか?と、言う疑問がある。
別の記憶は心理学で言うところの、フラッシュバックだろうか?
トラウマ体験もないし、ストレス障害もない。
どちらかと言うと懐かしいような、良い記憶だったのです。
(また続く)

2007年6月2日(土)
記憶はどこまで確か?(1)

ある時、車の助手席に乗っていて、寝るとも無く起きるとも無い状態でいました。
その時、いままでとまったく違う記憶が私の中に起こって
きたのです。

私は記憶の広がりと確かさを感じて、「この記憶は本当だよな。だけどこの記憶を覚えていられるだろうか?」と、思ったのです。
次の瞬間に目覚めて、「忘れたくない覚えていたい」という願いも空しく、サーっと現在の記憶に上書きされていってしまいました。
時間にしたら、ほんの一瞬だっただろうと思う時間に、確かな自分の記憶で、今とまったく違う記憶を垣間見たのです。
あれはなんだったのだろうか?
(つづく)

2007年6月1日(金)
住民税値上げ!

6月から住民税が上がるらしいですね。
先に所得税が下がっているから、行って来いなんでしょうが、税が上がると聞くと憂鬱になるのは条件反射のようなものです。
所得税が下がったときは、あまりニュースでも騒がなかったと思うのに、上がるときだけ大きく報道すると、いたずらに不安感をあおって、景気に悪影響があるような気がします。
地方に3兆円の税が回ってくるから、地方公務員は大変でしょうが、不祥事が起きないためにも、チェック機能をしっかりとして管理して欲しいものです。
おんぶにだっこから、自主独立へと、大転換ですから税金担当者は大変でしょう。
エリアが狭くなった分、税を負担しない人の顔が見えて、税を払わない人への風当たりや、福祉の切捨てが当然起こってくるんでしょう。
受益者負担を国も明確に打ち出していますから、自分の健康も自分で管理するのが当然。
「メタボになるのは自分が悪いから、公共の金を使うんじゃない」などと、時計の振り子が反対側に振れたように風向きが変わるんでしょうか?
歴史は繰り返すと言うから、61年前の「非国民」呼ばわりの時代がくるかも知れませんよ。
今のうちに思いっきり、遊んでおいたほうがいいかもよ。

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