スタッフのつぶやき 下へ
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2008年3月29日(土)
ブログはその時の自分の記念碑

何を書こうかと思案して、自分の中で最近考えていることや気づいたことを思い浮かべたりしています。
誰に読ませるという意識よりも、読まれることを想定しないで、自分の中にあるものを整理して吐露するようなつもりでしょうか。
自分が書いたものを読んでいると、客観的に自分の考えていることが分かってビックリします。
例えば、自分では自分の意識が政治的には左翼だと思っていたのですが、ブログを読んだスタッフに、ものすごく右翼的だと指摘されて私がビックリ。
それにこれほどに政治に関心があったんだということも驚きでした。
自分のブログを一番多く読んでいるのは、実は自分ではないかと思います。自分の考えたことを書いたものをまた自分が読んで、再認識して自覚するような感じがあります。
書き現したものは、他の人にしたら他愛も無いことが書き連ねてあるだけに見えるでしょう。
しかし私にとっては、自分がパソコンに向かって、その時その瞬間に考えたり着想したこと、私の脳のシナプスが活動した結果の反映で、自分の到達した記念碑のようです。
自由気ままに、政治的な迫害も気にせずに、暴言になるかもしれないことを書ける自由はありがたいことです。
これが中国なら、中央の政治局がどう受け取るだろうかと考えながら書いているでしょう。
日本でブログをチェックして、昔の思想犯を分類するように調査しているところはあるんでしょうか。
そうしたら私のブログはどう扱われるんでしょうか。
・・・。
問題視されるよりも、ゴミ箱行きになるんだろうな。

2008年3月26日(水)
やっと普通タイヤにしたよ

やっと普通タイヤに履き替えました。
ずいぶんと遅い仕事です。
今ではタイヤ交換も、ガソリンスタンドで交換する人が多くて、自分でやる人は少ないのかもです。
ヴェネチィアも当たり前のように、ガソスタに持っていく意識の人が多いです。
女の人ならタイヤを持ち上げたりするのは無理かも知れませんが、大の男がガソリンスタンドでタイヤを交換してもらうなど、私などは恥ずかしいナーと思います。
運転するだけで、パンクしてもタイヤ交換も出来ず、スペアータイヤの場所も知らない人もいますからね。ヴェネチィアのスタッフは全員タイヤ交換が出来ることを祈りたいものです。
ジャッキのある場所を知らず、ジャッキを車の何処にかけるかを知らず、タイヤ交換もやった事がなければ、スタンドにもっていきたくなるのも無理はありません。
自分から経験を積んで覚えようとする人はいなくて、楽しようとばかりの意識の人が多く感じます。
車の性能が上がって、パンクしなくなってパンクで困った経験もないから出来もしないのかナー。
きれいな環境だらけで、汚いきついところに手を突っ込みたくない意識が逆にかわいそうな気もする。
男は今も昔も、突きつけられた状況で問題解決できるかどうか、いわゆる仕事が出来る奴かどうかが器を測る物指しだからナー。
まず腰の重いやつはダメなんだ。

2008年3月24日(月)
台湾の選挙で中国が熱い

台湾で国民党の馬氏が総統に選ばれた。
将来、台湾がチベットのようにならないかと心配だ。
馬氏が中国と友好政策をとり、交流を活発化させ、中国からの移動を認めると中国政府寄りの漢民族が多数移動して市民権を得ていくと中国政府と台湾が一本化する流れができる。
今回の選挙では、当然中国からの工作があっただろうと思う。
李登輝前総統の理事をしている会社が、中国と貿易するのに、中国側からいろんな不利益を受けていると聞いたことがある。
台湾で中国と貿易したい会社は中国を悪く言えない。
そのような関係から、巧妙に圧力をかけていっているようである。
中国が台湾化して、選挙制度と情報統制を止めれば、統一に反対する国はなくなるんである。
今のように中国国内で中国批判ができない状態では、天安門事件の二の舞があるのではと危惧する。
武器を多く持っている国は、必ず武器を使うようになる。
アメリカがそうだし、ソ連がそうだった。
中国の軍事は強大化して、チベットやウイグルを侵攻している。ベトナムと境界線を巡って、戦争状態になったこともある。
とても危険な国と知るべきだ。
人民の意識は、紅衛兵のときと何も変っていない。
共産党政府の意向を読んで、先駆けるように行動しているだけなんである。中国のシステムが全体主義だから、常に急転回する可能性を秘めているんである。
中国の動向したいで、世界情勢が平和な方向にいくか、対立の方向に向かうか。中国が鍵を握っている。

2008年3月23日(日)
個人と国家はどうあるべきか?

最近の疑問は、個人と国家の問題を考える。
国家間の政治の世界は、国益がぶつかり合って軍事力を背景に直接的ではないまでも言う事を聞かせようとする力を感じる。
日本が日露戦争と大東亜戦争を戦って、結果的に世界に植民地は無くなった。今でも、イラク戦争にしろ、強大な軍事力が無い国がターゲットになっているだけのことで、アメリカが絶対勝つ戦争を仕掛けているに過ぎない。
アメリカ国民がイラク戦争を支持し、アメリカ国民がブッシュを選んだわけだから、民主的にやっているわけである。
9.11も仕組んだ謀略だと言われている。
常に大衆は国家によって操作されるんである。
国家はいつも策謀的なんである。目的が先にあって、大衆操作があとにくるんである。政府発表は常にプロパガンダなんである。
世界も日本ほどに平和ボケしていてくれれば、世界中平和なんだけどなー。
私も中国やアメリカに対して憤慨しているが、自分と日本国家を同一視して考えているところがある。
国家権力に利用されることがないように、個人が国家に対してどういうスタンツを取ればいいのかをも、憤慨しながらも考えるのである。
個人と国家の問題は、もっと本を大量に読んだ上で考えねばならないのかもしれない。

2008年3月22日(土)
お客さんとホステスの理想的関係は?

ホステスは自分でお客さんを選べない。
お客さんに選ばれて、いい接客をしていい仲になり、何度も指名されるようになる。
大事なことは、選ばれる順番に入っているという事です。
お客さんから見て、1番目に指名する子に入っていなくても、2番目、3番目、・・○番目でもいいのです。
お客さんが誰を選ぼうかと写真を見て、必ずとばしてめくってしまう中に入っていないことが必要です。
写真を一通り見て、お客さんに着いている子以外にもあいている子がいるのに、「誰もいないから帰る」とお客さんが言うとガッカリです。
お客さんは、色んな子を指名してみたいものです。
男は本能的に浮気性です。
お金を出して遊んでいるんですから当然です。多数の女を指名したいお客さんの気持ちに寛容になって、何番目でもいいから、またしばらく経ったら指名してもらえることが重要なんです。
ヴェネチィアでホステスさんも大勢のお客さんに着く、同じようにお客さんもヴェネチィアで多数のホステスさんと遊ぶ。
あくまでも選ぶのはお客さん。
それをホステスの側が操作しようとして、「他の子を指名しないで」というのは自分の首を絞めるようなもの。全員がお客さんに
「他の子を指名しないで」と言っていたら、全体の指名数は激減するからです。ホステス同士持ちつ持たれつ相互乗り入れで客数以上に指名数を増やすんです。
お金を出すお客さんが王様。
お客さんが好きなように振舞える、お客さんにとって天国の店を目指せば、ホステスさんの実入りが増えます。
お客さんと、ヴェネチィア全員のホステスさんがいい関係でいたいなーと思うんです。

2008年3月21日(金)
ヴェネチィアのホステスじゃないけど・・・

緊張しないで、居心地良くて、誰とでも何でも話せる環境で、お客さんに接客で奉仕して、お金をもらって生活を維持できる。
多くのお客に気に入られるように、太りすぎず、容姿端麗に、言葉遣いとボキャブラリーに気をつけ、本を読み、休みは自由に取れるから、旅行にも行き、計画的に生活を送れば、楽しい幸せな生活を送れるはず。

行きたくないナーと仕事を休み、何をするわけでなくダラダラ過ごし、お金の必要に迫られてから働き、支払いが済むとまたダラケタ生活をする人もいる。

ヴェネチィアのホステスさんじゃないんですが、よくいますよね。こんな人。
ヴェネチィアには欲しくないなー、こんな人。

2008年3月20日(木)
民族問題に解決策はない

民族問題は難しいと思う。
中国も多民族国家をまとめるのは不可能だろう。
日本のように、一民族、一国家、一皇統、一つの歴史は世界では特殊なんだそうだ。
外国で日本人が暮らすには、たえず自己主張して、自分のことをたえず説明する社会なぞ疲れてしょうがないと思う。
やはり相手も自分と同じような価値感を持って、主張しなくても分かり合える社会がいいと思う。
日本が世界のようになる必要は無くて、世界が日本のようになればいいのだと思う。
侵略したり、殺しあったりせずに仲良く出来ないものかと思う。
大東亜戦争で、五属協和を志向し満州国を設立したが、日本人の末端の人は韓国人や中国人を蔑視することがやはりあったと思う。
崇高な理想は高くても、民衆は感情が先にたつ、どんな社会を作るかの理想を目指すよりも、目の前に気に入らない行為を見ると感情が先に動く。
だから中国政府は民族や宗教や歴史や価値感で国を分けて、締め付けずに自治を地域に任すべきなのだ。
経済的取引に限定して、あとは地域差を認めればいいのだ。中央政府のいう事を聞かせようとしたり、押し付けたりしては反発しか起きない。

中国は民族同士で侵略されたり、皆殺しにあったりした歴史があるんで、民衆は政府や官僚をも信用はしていない。
管理する者が違うだけで、民衆は常に奪いつくされてきた歴史がある。日本人のような一体感はまったく無いのだ。顔は日本人と同じだが、環境と通ってきた道がまったく違うから、これからも収拾がつかないくらいに混乱を繰り返すだろう。
やはり日本がいいのだ。日本をもっと利他的な素晴らしい国にしていくことに力を注ごう。そのためには教育。自分を自分で教育していけることがもっとも大事である。
個人が自立して協同してこそ国も栄えるので、依存心が強く頼るばかりの人間が多くなっては日本は衰退してしまう。

2008年3月19日(水)
チベットで中国軍が残虐行為

チベットでの暴動で、中国軍が武器を持たない多くの人を銃撃して殺している。
いきどおりを強く感じる。やはり全体主義の国は民主的な抑止力はなにも働かないから、末端は感情で暴挙にでるのだろう。
紅衛兵が集団で人民をいたぶった時と同じだ。
武器を持たない不満分子を簡単に殺すような国が、平和の祭典のオリンピックを開催することはおかしいのでないか。
覇権反対を言いながら、一番覇権行為をしているのは中国である。チベットにしろ、ウイグルにしろ、台湾にしろ、ベトナムにしろ、中国と国境を接する国は、中国からの侵略的覇権を受けている。
社会主義国の中国と、ダライラマを頂点とする仏教国のチベットが同じ枠に収まれるわけが無いのです。価値感が違うのだから。
中国兵はチベット人を、宗教に毒された遅れた人として蔑視して扱っているのだろう。

社会主義の教育を受ければ、当然無神論になって宗教や文化を軽く扱うようになる。
民族問題の面もあって、問題を複雑にしている。
中国は多くの民族が同居する国家だ。現在の中国共産党の中枢は漢民族が牛耳っている。チベットにどんどんと漢民族が移り住んで、人口が増えている。最終的に選挙をしたとき、漢民族が多数になるまで人口を増やすだろう。選挙をして公正に決めたと見えるようになるまで、漢民族の盲流は続くのでないか。
同じ動きが台湾で起こっている。中国本土から来た中国人が増えることで台湾政府が揺らいでいる。台湾が中国に吸収されたら静かに粛清が水面下で行われるだろう。
中国に反省を促しても無駄である。中国は中華思想が強く。独自色が強く。日本に押し付けることはしても、自分を改めることはしない国だ。餃子事件で、中国という国が日本とあまりに違うことが分かったはずである。
国際社会が、オリンピックボイコットを盾に、チベットに調査団や国連軍を送るしか、関係国が中国の圧政から逃れるすべがない。自国民を8000万人も殺した国なんである。よその国の国民を殺すことなど何とも思わない。
日本政府も現中国政権と仲良くしたり歩み寄ったりしようと考えるより当たらず触らず、中国が変るように日本寄りの民主勢力に力を注げばいい。

2008年3月16日(日)
教育を語ってみた

教育という観点から考えると全てが教育といえる。
テレビを見ている。ドラマやお笑い番組や歌番組やドキュメンタリーを見ている。新聞を読んでいる。映画を見ている。ラジオを聴いている。本を読んでいる。ネットでサイトを見ている。
これらを自分がやっていれば、自分をこれらで教育していることになる。学校に行って机に向かうのが教育と言うのではなく、広い意味では人間に影響を与えること全てが含まれる。
朝から晩までドラマに時間を費やす人は、自分をそのように教育しているのだ。そのテレビ番組を選択したという事は、自分をその影響下に置くことを選択したことになる。選択といえないほどの小さな選択の積み重ねが自分を形成していく怖さ。
画一的な情報ばかりに偏っていると、いびつな人間形成がなされるのでないかと危惧する。
しかし、時間は有限だし、能力も並となれば、どの方向に自分と言う資源を振り向けていけば、社会への還元とか自分の身につくとかの、リターンが多いかを考える。
殆どの人は本を残したり、作品を残したりせずに、労働を対価に変えて一生を終わってしまう。
例え何かを残しても、全て無に帰すといえば言えるのだが・・
残り少ない人生の時間をどう刻んでいくか、自分の本質に問いかけながら牛歩に似た歩みを続けるしか、すべはないのだろうなー
ちょっとシンキクサクなったぞ!!

2008年3月15日(土)
気づかないで、憤慨させているかも知れないなー

今日はジムで駐車場に車を止めたら、自分が止めようとバックするところだったのにと言われました。
止めようとした場所から、その車が出たところのように見えたのです。
日頃、止めようと思っていたところに、後から来たおばさんなどに先に車を突っ込まれて憤慨したことが2,3度あったので、自分が同じことをしてしまったことに愕然としました。
勿論すぐに譲って別のところに止めました。
私が思って無くても、他人を憤慨させたり傷つけたりしているのかも知れません。
バスタオルをジムから借りているのですが、自宅に帰ったら鞄から借り物のタオルが出てきて、愕然としたこともあります。
スイミングキャップが落ちていて、自分のだと思って拾って帰って見たら、自分のスイミングキャップが出てきて慌てました。
それも色が全然違うので、なんで間違えるんだと思えるものでした。
勿論、タオルは翌日ポストに入れて、スイミングキャップはカウンターに届けました。
自分の不完全さを良く認識していたら、他人の失敗にも寛容になれるはずです。
思い込みやうっかりミスで、他人を苛立たせたり怒らせたりした時こそ、自分が対応としての人間性人柄を問われている時です。
おだやかに理性的に対応したいものです。
なかなかそう思うように行かないことも多いのですが、この頃少し、そんな時への考え方と、対応のやり方が出来るようになった気がします。

2008年3月14日(金)
精神科の診察室にいるのは、まさに私だった

本を読んでいたら、身につまされました。
心理的な本だから、精神科なのか、病院に来た患者の話しが書いてあります。
頭の良さそうな、やり手のような男性が診察に来て、この頃記憶力が悪くなって心配で診察に来たのでした。
その人は自分の状態を説明するのも論理的で長い話もでき、とても記憶障害の人には見えないのです。
しばらく話をしていると、論理的に説明するが、思い付きから話し始め、それを筋道立てて説明しようとしているように感じてきて、本の著者の先生は、その人の鞄の中に何が入っているかを尋ねます。鞄に入っていると思っていたものと、実際に入っていたものが違っていて、「市役所に出す書類がこんなところにあった」など本人もびっくりしています。
机の上がどうなっているか尋ねます。整理されずに書類が山積になっているようです。
心理学者の著者が言います。
「まず机の上や机の中を整理してください」
「整理することは、有能な上司を持つことと同じです」
「あなたが上司に今はこれをやって、出来たら次にこれをやってと言われたら安心して仕事に集中できるでしょう。整理をすることは、有能な上司を持つことと同じなんですよ」と言うのです。

私の仕事部屋も、机も、この患者と同じなんです。
歩く踏み場も無いような状態で、机の上には物が乱雑に積み上げてあります。
いままで整理の本を3,4冊読んだのですが、影響されていません。記憶力もこの患者と同じで、今日も2時半になってから、ホステスさんの給料を銀行に行って降ろさないと駄目だと気がついて慌てて走りました。銀行が閉まる30分前です。それまでは急がない仕事をゆっくりとお茶を飲みながらやっていました。
忘れっぽいことと、優先順位が分かってないことに舌打ちした後に、銀行で待つ間にこの本のこの部分を読んだわけです。本に書かれていたのは、まさに私でした。

2008年3月10日(月)
何をやるのもかったるい、ものぐさ人間ほど読もう

人がすべて上昇志向があるわけでなく、なるべくなら金にならないこと、大変なこと、努力が必要なことはやりたくないのは当然です。必要最低限のことしかしない人、切羽詰ってやらざるをえなくなってからしか行動を起こさない人、他人が自分の問題を解決してくれないかと依存する人。誰にでもものぐさな気持ちはあって、春眠暁を覚えずで、ぬくぬくした布団からは出たくないものです。起きてやることもなければ、いつまでもウツラウツラの状態を続けてしまうことはよく経験することです。なかには起きてやることはあっても、布団にもぐりこんだまま自分がやるべきことを意識的に見ないようにして、布団から出ない人もいます。

(「脳がさえる15の習慣」P61より)
「前頭葉の力が高くなると、限られた知識や経験しかなくても、それを使って有効な組み立てを考え、行動に移すのが上手くなります。要するに実行力の高い人になる。逆に前頭葉の力が下がってくると、知識や経験があっても、それを使って合理的な組み立てを考え、行動するのが苦手な人になります。博識なのに、それが活かせないタイプです。
前頭葉を鍛える時には、状況に対して、より速く判断できる、的確な対応が考えられるという、いわばテクニックの部分を鍛えるのももちろん大切ですが、それ以前に重要なことがある。それは、指令を出し続ける体力を高めることです。
どんなに速く、的確な組み立てを考えられる人でも、たまにしかその能力を発揮できないのでは、何にもなりません。
前頭葉が指令を出し続けられなくなったとき、次に人間を動かすのは感情系の要求です。つまり、面倒なことはしたくない、楽をしたい、人任せにしたいという、脳のより原始的な欲求に従って動いてしまう。結果的に、前頭葉の体力が落ちてくると、やればできるのにやらない人、自分を律して主体的に行動するよりも、人から命令されなければ動かない、感情系の要求に従ってダラダラ過ごす時間の長い人になってしまいます。
それより、人から言われなくても自分から行動し、その状況を持続できる、感情的に困難な問題があってもそれを抑えて行動し続けられるという人の方がずっといいはずです。そういう人は活躍の機会も多く与えられるので、その中で判断力や行動を組み立てるセンスも磨かれていく。結果的に、社会で長く活躍できる人になります。」

前頭葉は人間が一番発達している頭脳です。主体的に行動できないものぐさな人は、前頭葉の機能が落ちている。ということは、ひょっとして人間から退化しているのかも知れませんね。
マズローは出来ない人の心理を聞きだして、心理分析で理解しようとするよりも、目標を設定し達成することのほうがより有効だと言っています。ものぐさ人間を自認する人は、はやく抜け出して主体的に生きましょう。

2008年3月9日(日)
個人と国家との関係

最近の疑問は、個人と国家の問題を考える。
国家間の政治の世界は、国益がぶつかり合って軍事力を背景に直接的ではないまでも、言う事を聞かせようとする力を感じる。
今でも、イラク戦争にしろ、軍事力が無い国がターゲットになっているだけのことで、アメリカが絶対勝つ戦争を仕掛けているに過ぎない。
アメリカ国民がイラク戦争を支持し、アメリカ国民がブッシュを選んだわけだから、民主的にやっているわけである。9.11も仕組んだ謀略だと言われている。
常に大衆は国家によって操作されるんである。
国家はいつも策謀的なんである。目的が先にあって、大衆操作があとにくるんである。政府発表は常にプロパガンダなんである。
世界も日本ほどに平和ボケしていてくれれば、世界中平和なんだけどなー。
私も中国やアメリカに対して憤慨しているが、自分と日本国家を同一視して考えているところがある。
国家権力に利用されることがないように、個人が国家に対してどういうスタンスを取ればいいのかをも、憤慨しながらも考えるのである。
個人と国家の問題は、もっと本を大量に読んだ上で考えねばならないのかもしれないなー。

2008年3月8日(土)
幸福ですか?

幸福論の中で、幸福とは置かれた状況など、お金があるとか、病気だとか、成功しているとかに関係なく、本人の思いだけで幸福になれるといっている。
世の中は、ガソリン代が高騰し、収入は下がり、環境問題や、食糧問題、文化摩擦、宗教問題など問題が目白押しだが、それらとは関係なく、本人次第で心は平安で幸福感を感じられることが可能だと言われている。
ヴェネチィアも12時までの営業になって、仕切りも外し、飲酒取締りの厳しさで売り上げが下がって、頭を抱えてしまう状況であるが、それでも心が平安であって、幸福であることができるか、この状況下で自分を試してみる機会だと思っている。
いろんな人が危機的状況に陥って、八方ふさがりの中から再生している。ピンチはチャンスだとも言われる。
今や日本中がアチラでもコチラでもガソリン高騰の影響でピンチの状況が現れている。企業努力で吸収できる値上がり幅でない。
こんな状況下で、苦労し苦心し仕事に走り回っていても、心は平安を保っていて幸福だと感じている人もいるのだ。
周りの環境状況に振り回されることなく、自分の心は自分がしっかりと保持したいと思う。

2008年3月5日(水)
細胞の声なき声を聞く

身体を動かした方がいいのは誰でも分かっているのに出来ないのは、面倒だというものぐさの気持ちが出てしまうのだと私自身に問いかけても分かります。
私はどうするかと言うと、「習慣の力」を借りるとの「視点を違えて」感じてみることをやります。
習慣の力は以前も書いたし、今更言うまでも無いことですが、時間さえあれば身体をジムまで持って行きます。
「風呂だけでも」と、自分を納得させて身体をジムまで運ぶのです。ジムに行くと不思議とやる気になってしまうのです。
「プールに行って歩くだけでいいや」と思いながら、プールまで行くのです。
結局いつものようにやってしまうのです。
スポーツで気をつけていることは、やり過ぎないということでしょうか。
スポーツで困るのは他と張り合って無理してしまうことです。
周りの人に自分が出来ることを現したい気持ちが働くのか、若い人ほど力が入っているのです。
次の日、張り切った人が筋肉痛でジムを2,3日休む結果になっていると想像します。
私はできるだけゆっくりと取り掛かって、急ぎません。
なるべく他のレーンを見ないように、自分に集中して意識に入らないようにします。
健康の為に運動しているだけで、競い合う必要性は何も無いのですから。これが「習慣の力」として気をつけていることです。
「視点を違えて」感じるようにするというのは、意識は面倒だというものぐさの気持ちが出てしまうのですが、自分の気持ちや感情を考えるのでなく、自分の細胞の視点に立つのです。
人間に60兆個もある細胞が何日も何ヶ月も活性化しないで働かないままに経過すると、廃用性萎縮で死滅していきます。
活性化されない細胞の視点から考えてみるのです。
細胞が活性化されることを渇望し訴えていることを想像してみるのです。そして自分の身体の細胞にどうして欲しいのか意識を向けてみます。細胞から「活性化して私の為になりたい」とうずきとして感じます。そう感じたら身体を動かさないでおれません。
メタボを解消などと消極的に考えるのでなく、細胞をいつも活性化させるためにたえず身体と意識をフル回転させ、血液と酸素を身体にめぐらせましょう。

2008年3月2日(日)
地球循環のサイクルを思って

人は死ぬと、自分を形作っていた身体は焼かれ、分子のレベルまで分解され灰や煙と形を変えて存在します。
分子レベルまで分解された元私の質量は、水に流され、空を飛んで、土になり、木になり、草になり、虫になり、動物になって、地球の構成要素として存在します。
質量不変の法則が厳然とあって、死んで変化しても自分を構成していた質量は姿かたちは変わっても、構成要素は同じで地球から一歩も外には出ずに地球上に存在しています。今の私を構成している質量は、地球の構成要素が形を変えて私となって出現していることにほかなりません。
私は自分が地球に存在した全ての生物の何億年もの原子分子の質量の上に存在し、それらを耕し取れた食物を食し生存し、また自分もそこに帰っていく。大きなサイクルの中の一形態として自分が今いることを思っている。

無から有が生じたように、無生物であった火の玉の地球から生物が誕生し、今の私が存在します。
自分が理解するしないにかかわらず、自分も形を変えて将来の地球を作る一握りの土になる。

無から有が生じたように、あり得ないことがあり得ることもある。魂が存在できるかは神が存在するかと同じように考えれば疑問であるが、自分を超えたシステムが自分の考え思いと関係なく存在しているのだから、どちらにしても私はこの大きな循環の中を流れていけばよいのだということは、まさに有難いことだと思っている。

2008年3月1日(土)
木が語る思いを聞いてみたい

春の足音がそこまで来ています。
木々は芽吹きの準備に入っていることでしょう。
自然の厳しさを意識して自分の中に取り込まないと、楽に自堕落に流される自分を感じます。

手を廻すほどの木を抱きかかえると、木の思いが伝わってくるそうです。木々も虫も動物も、人間に全ての地球生命が環境破壊の犯人としての人間に、責任ある行動を求めています。
自然に対して責任を自覚する為にも、木を抱きかかえて内から発せられる思いに耳を傾けてみるのはいかがでしょう。

上に

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