店長のつぶやき 下へ
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2009年8月29日(土)
どの政党が日本の舵取りをするのか?

いよいよ明日が投票日です。
近くで森喜朗が来て、総決起集会で演説をしていました。
森喜朗は、石川のために利益誘導してくれる、中央との太いパイプです。
そして世界への働きかけでも、手腕は高く評価します。
しかし長く続く自民党への批判、赤字体質の政府をどうするのか、縦割り行政と官僚政治からの脱却をどうするのか、税収が縮小するなか議員や官僚の数がスライドして減っていかない、小さな政府はいつになるのか、その場しのぎの政治ばかりで、将来はこういう方向でいくという政策が見えてこない。
議員報酬が高すぎる。国会議員が自分の報酬をカットできるんでしょうか。
そうした自民党政治の堆積したツケがあるために、政権交代の風が吹いているのです。
堆積したツケをキレイにする政策が、自民党に見えないための、自民党への逆風なのです。
堆積したツケをキレイにする争点に、自民党が応えれば勝機はあるでしょうが、今のままでは国民の不満の前に自民党は飛ばされてしまいそうです。
明日の投票日がどうなるか楽しみです。

日本国民は正しい選択で、日本の将来に有為の政党をえらぶでしょうか。

2009年8月28日(金)
超人の道を行こう

超人になりたいと思った。
超人とはより完璧に近づくことだ。
しかし大きな障壁がある。
私が計画性がない事と、緻密さに欠けることだ。
だから超人は初めから頓挫する雲行きだ。
先人は何か残していないかと見てみた。
超老人のすすめ」という本があった。
まずはこの本を参考にしてみようか。
他人が体験してきたことを、自分の体験と照らしていいなと思うところを取り入れれば完璧に近づくというわけだ。
超人の本も何冊かは目星をつけているのだ。
エセ超人でもいいんである。

私は完璧には程遠いだろう。
気が多いから次から次にと、あれもこれもと自分に引き込もうとするだろう。
自分というものが知らないままに、自己肥大させる傾向がある。
しかし、ちんまりとまとまって冒険しないよりはいいと、自己弁護しているのだ。

2009年8月25日(火)
植物に意思はあるか?

植物に意思があるだろうか?
私は植物にも意志があると思う。
人間のように、わがままや夢などの明確な意思はなくても、弱いけれどある。
なぜそんなことを感じるかというと、潰れたり空き家になった家に、急に雑草が生い茂るのを感じるからだ。
雑草が「今ならもう大きくなっても人間に刈り取られる心配がないぞ」と一斉に成長を始めるから、人間が住まなくなると雑草が生い茂るようになるのだ。
植物に脳はない。どこで感じるのか、どこで一斉に伸びようと意思決定するのか。

虫や単純生物も脳はない。
例えば海洋生物のアメフラシは消化器官だけで海の底をエサを求めて移動する。
脳は無いのだ。呼吸をしたり、消化したりの反応は、すべて腸などの消化器官でやっているのだ。
心臓移植した患者などの体験から言われだしたのだ。
心臓移植した患者の好みや癖が全く変ってしまい、本人でさえも面食らうらしい。
進化する過程で脳がまだ無かった時、腸が基本的な動きを制御していたと考えられる。
だから人間の腸や心臓などの内臓が単純な身体の制御をしているのだという考えがある。
しかし植物人間になって脳が機能していない患者の呼吸器を外すと死んでしまう。腸が呼吸や体温調整をしているなら呼吸器を外しても死なないはずではないか。
やっぱり脳が全て制御しているんだろうか?

私は大食らいだ。胃の事情より脳の食べたい欲求を優先させてしまう。胃はげっぷをしていて働きすぎで休ませてくれと思っているのに、脳は食べたいと胃に食べ物を流し込んでくるのだ。胃の事情も考えねばならない。
胃の事情を考えるのも、食べたいと考えている脳なのだ。う〜〜〜む。
他の生物を見ると脳がない生物もいるし、脳だけとは考えずらい、胆力とか腹芸とかいうから内蔵も関係あるのだろう。私も腹に据えかねて怒ることがある。あれは脳が怒っているんじゃなくて腹が怒っていたんだな。

2009年8月24日(月)
金山裕希18歳 取れ金メダル!

私はまったく奥手だ。
自分が何が好きか、どうなりたいのかが今頃にやっと自覚できた。
私が好きなのは超人なのだ。
私自身は超人になれない、超人にあこがれるただの人なのだと思った。

そう思ったことは、こうである。
ジムでいつものように泳いでいた。
私も泳ぎは速いほうの部類に入るのだが、特に早い奴がいた。
私が2往復する間に、25m近くも差をつけられてしまうほどだ。
私は自分より早い人には声をかけて知り合いになって、どんな点に意識をおいて泳いでいるのかをいつも聞いている。ただし聞くのは男だけだ。女性は異性としての興味や恋愛感情と受け取ったりされて、心の動きが面倒なのだ。だから私が話しかけるのは男に限っている。私は男たらしなのだ。
彼は今まで私が見てきた中で一番早いと感じた。水泳の選手なのかと聞いたら、親は国体の選手だったが自分は泳ぎは遅かったんで親にお前は水泳は合わんから止めろと言われて止めたんだという。
この頃身体の使い方が分かってきて早く泳げるようになったという。
泳ぎながら手の入水角度や、腕の伸ばし方、体幹のぐらつきを意識にとめて泳いでいるという。身体を最高に活動的にしながら、意識は細心の注意をもって身体の状態を観察しながら泳いでいる。
一番いい状態の泳ぎをいつもできるように、普段の泳ぎを自分の一番いい状態の泳ぎに近づけるようにしているという。
彼はスノーボードでオリンピックをめざす選手だった。それもまだ若干18歳の若さだった。
いつもはインナーマッスルを鍛えるトレーニングをジムでやるのが主で、泳ぐのもトレーニングの一環としてやっているに過ぎない。
金沢が家で、ホームグランドは北海道だという。他の人は夏は欧州に行ってトレーニングをしているが、彼は若いからか日本でトレーニングだという。スポンサーを探しているのだ。世界中を廻ってレースに挑むにはお金がいっぱい必要だろう。すごいと思う。そしてうらやましい。
スポーツは鍛錬の成果が結果としてでるから、努力やまじめさひたむきさがとても分かりやすいのだ。
これが人間ができているかどうかを見ると、人格者といわれる人の人格もどうすごいのか素晴らしいのかがまったく分からない。
人が言うからそうなのだろうと思うのだ。その人の本を読んで、あの人はすごいと思うが、書く技術と人格とは別次元かも知れないのだ。
その点スポーツは結果という形で優劣が明確だ。身体のトレーニングと、メンタル面の、どう考えて日々トレーニングをするかの心の面の両面の結果としての勝敗なのだ。
スポーツは、結果を残した人のほうが、人としての完成度が高いのだ。
彼の名は金山裕希君という。話していてもひたむきさが伝わってくる好青年だ。
頑張って世界をめざして欲しい。蔭ながら応援する。

私は自分の身体にしっかりと向き合って、スポーツ選手のように鍛え上げたい。
知識も万巻の書を読んで身につけたい。人格も心に栄養になる本と意思疎通し人格者になりたい。
要するに超人になりたいのだ。しかしなれずに仰ぎ見ている人なのだと思った。
全然努力が足りないと思う。もっと私は自意識を前面に出して、若者のように尖がらないと駄目なんじゃなかと思った。18歳の真摯な姿勢が私には欠落していると思ったのだ。
18歳にはなれなくても、何事にも真摯に向き合う姿勢を持続できるはずだ。

金山裕希君関連のサイト

http://hiroki-dream.com/profile.html

http://hiroki-dream.com/team/index.html

http://bluetag.jp/contents/athlete/no0081.html

2009年8月22日(土)
知価社会に徴学制度の提言

世間を見ると、庶民は本も読まず、ゲームやパチンコの享楽にうつつを抜かし、多くは自信喪失していて、欝は蔓延し自殺者は3万人だ。
そんな大衆が国民主権で、国の将来や運命を決めようという。
できるのだろうか?
這いつくばって生きている我々庶民に、国の運命や将来を決めれるのか。
文盲はいないまでも、無知無教養が多いと感じる。
世界レベルでの教育順位は、日本は下がり続けているのだ。
大学は開かれ、放送大学も、県民大学も、図書館も、セミナーもあるのに、利用しない人はまったく利用しない。
かれら無教養なじいちゃん、ばあちゃん、兄ちゃん、姉ちゃんが、国の根幹を選挙で決めようというのだ。

決定するのは、大衆によるよりも本当は解っている指導者層が決定したほうがうまくいくのだが、選挙で回りくどくやる意味は、大衆の方が極端な間違いを犯さない点がよいのだろう。

高度に発達した資本主義社会においては、大衆の底上げが国家発展の急務と云える。知価社会を標榜するには、知識の高度化が必要だし、国民多数が高度知識を駆使できて知価社会といえる。
一般大衆の教養程度が高ければ高いほど、高度な生産物を生産できる。

私案だが、徴兵制のように義務として国民を大学にぶち込んで、詰め込み教育をするというのはいかがだろう。
当然テストの結果が悪かったら、会社でのポストは剥奪される。
知価社会においては、部長も課長も安穏と居酒屋で飲んでなどいられないのだ。皆がねじり鉢巻で机にかじりつくのだ。

かわいそうだからヴェネチィアだけは、解禁してあげよう。

2009年8月21日(金)
社会人の松下村塾を作ることが日本発展のもと

どんな人もおかれた環境、与えられた境遇から前向きに上を目指して頑張ればいいのだけれど、周りと比較して、自分の欠点を探して、多くのエネルギーを消費していると思う。
私も前に進むことだけを常に考え続けていたならば、もっと到達度は先になっていたのではないかと思うのだ。
成長の早いシナリオを分かっていれば、悩むことなく自分なりに最高の到達度を達成できる。
しかし、現実は迷い悩む時期が長く続くと思う。
特に若いときほど、できる人ばかりが目に付き、自分のコンプレックスに悩まされ、進む前にエネルギーを無くしてしまう。

学校で教えるのを、これに対処するような心構えなどを教えるべきだと思う。
若いときに何の知識も無く、手探りで自分の生きていく道を探して迷って、遠回りを繰り返してきた。

どんな心構えで将来に向かうか、迷った時の対処法などを教えてくれる教育機関があったなら、自分の人生を有意義に価値あるものに、自信を持って生きれるのではないだろうか。
日本人は私も含めて宗教への抵抗感が強い。
神道や仏教では古臭く感じて、新興宗教ではのめり込む洗脳を伴いそうで近づきたがらない。

心の問題を、科学的に理論的に理解していたなら、コンパスや地図を持って人生航海を行くようで、確信と自信を持って過ごしていけると思う。
全ての個人が力を発揮できれば、国も大きく発展できると思う。国の施策で、社会人のある意味「超人」を育てる社会人学校を作ることこそが、技術学校を数多く作るよりも効果的ではないかと思える。
現代の松下村塾を今こそ政治の力で作り、有能な志士を輩出すべきでないか。教育こそが発展する基なのだ。

2009年8月20日(木)
意識と身体の私なりの視点

私は自分の身体を、他者の如くに思っている。
体の細胞の一つ一つに意思はないが、意思あるものとして扱うのだ。実際に身体や細胞が求めているものがあると思う。
例えば運動中に頭が勝手に囁きだす。
「もうだいぶやったから、かったるいよ」
「他の人の邪魔になっているんじゃないか」
「迷惑に思われているかもしれない」
運動を止める理由を頭はいっぱい探してくるのだ。

頭の思考に従うといいことがない。
運動が長くは続かなくなるのだ。
頭がぼやき始めたら、意識を身体に向けてみる。
体が苦しがっているかと、聞いてみるのだ。
身体は運動していることを苦しがってなどいない。
平然としている。どちらかというと、嬉しがっているように感じる。確かに生き生きしている。

それから速く泳いで、他の人と競うのを捨てる。
速く泳ぐことや勝つことを捨てるのだ。
競争すると、他を意識しながら泳ぐことになる。
他を意識すると負けまいとして懸命になるが、力が入りすぎてペースを乱し長くは泳げない。
競争して力が発揮されるタイプではないのだ。
競争することは、殆ど私より若い人と競争する結果になる。分が悪いのだ。
だから、周りを気にせずに自分にだけに意識を向ける。

あえて見ないようにするが、競争が好きな人は多い。
私に合わせるようにスタートをするように感じる。
そんな時は、逆にゆっくりと泳いで勝ちを譲ってあげることもある。

なるべくゆっくりと大きく泳いで、身体を充分に伸ばすようにしている。
どうしても縮まって伸ばす機会のない細胞を、思いっきり伸ばしてあげることに意識を向ける。選手になるわけでないので、速く泳ぐ必要は何もないのだ。
健康のために、自分の身体のために泳いでいるのだから、他人を視界に入れる必要はない。
だから私の顔は、周りの人は知っていても、私は他のプールに来ている人を知らない状況なのだ。

それから他を気遣うのはいいが、他の人が考えていることを自分が考えるのはやめる。
自分が長くレーンを占領して泳いでいるのは、他の人に迷惑をかけているんじゃないかと何度か途中で切り上げてみたが、他の人は思い思いの行動をしていて、私の行動を気にしている人はいないことが分かる。
取り越し苦労なのだ。
だから、他の人が考えているであろうことまでを、私が考えることはないと結論するにいたった。
人は誰もが自分のことで精一杯で、他人のことまで考えていない。
日本人の、隣や周りを気にするマイナス面は取らないように気をつけねばならない。外人のように自己主張ばかりはイヤだが、周りを気にしてばかりいて、何もできないのはもっとイヤだ。

2009年8月18日(火)
ヴェネチィアは利殖の場でもある

ホステスさんを集めたい、スタッフを集めたいとき、一番いいのはこれと思う人を誘うことだろう。
ヴェネチィアでの仕事とは言え、誰でも出来るようでいて、この人はどうだろうと思うと無理だろうなとなる人が多い。
仕事にも適材適所があって、人は意外と狭い選択肢の中で仕事をしているのが分かる。

スタッフの仕事は簡単で、お客さんを待っている時間の方が長いから楽な仕事なのだが、お客と話ができない人やオドオドしている人はダメなのだ。
ホステスさんも18歳からOKだが、若ければ適応力に欠けて、歳を重ねた人は若さがなくなって艶っぽさや引き付けるものが無くなったらダメなのだ。
若い子でも物怖じせずに相手の眼を見てドキッと感じさせる子もいるし、若くなくても思わせぶりな色っぽいしぐさで引きつける人もいる。

最初から身につけたものが違うと感じるのだ。
ホステスとして男を引きつけられる子なら、ヴェネチィアは即日高額のお金が手に入る。
ヴェネチィアで仕事をする資質を備えた人なら、若いうちからリッチな生活が可能だ。
見逃す手はない。

ただ水商売は誘惑の多い仕事だ。身を持ち崩す話も多い。
自立できていて、しっかりとした生活設計を持っている人がいい。
若いときにお金をいっぱい貯めて、後半の生活を利殖で生活する設計を立てるくらいの人なら、ヴェネチィアは男に頼らない思い通りの人生を描ける。
男性なら、ヴェネチィアで高収入を稼げる彼女を持って、かしずいて安楽に生活する道もある。

ヴェネチィアはお金を払って遊ぶ場だけではないのだ。
ホステスを紹介すれば、高額の紹介料が手に入る利殖の場でもある。
あんのんとしてないで、もっと活用したほうがいいかもよ。

2009年8月17日(月)
お盆が過ぎても墓参りはまだだ!

お盆も終って、日常の仕事に戻っていますか?

私はまだお盆の墓参りが済んでいません。
生きているものの勤め、先祖があって自分があるのですから、1年に1度手と合わすことで、連綿とした過去からのつながりの中に、自分が生かされていることを気づくことができます。
駅伝競走のようにバトンを渡されて現在走っているのは私です。
願いが込められた、眼に見えないバトンやたすきを抱えて毎日を生きています。
走るうちに私の願いもバトンやたすきに織り込まれて、次の走者に渡されるのでしょうか。

戦争中の青春を犠牲にして散って行った英霊達、田畑に一生を縛り付けられ士農工商の時代に生きたであろうお百姓、藩を国として狭い範囲に生きた先祖達などなど、27代前に遡ると先祖の数は計算上2億6千8百43万5千4百56人になる。短命だった先祖は20年で計算して、後の年数は子と親が重なると考えて27代前は560年前なだけだ。
すごい数の先祖が私に命のバトンを渡しすために生きてきたのか。
私の一挙手一投足が意味の重みを増していく。
何気なく生きているとき、それでいいのかと腹の底から何かがせりあがってくる。
至らない子孫を見ていての、多勢の祖先の慟哭だろうか。

祖先に恥じない生き方をせねばならないと思いながら、仕事がヴェネチィアだからなーー。
ご先祖様は理解を示しているのだろうか。

2009年8月16日(日)
他人の不景気は、私の不景気につながる

残暑お見舞いのうだる暑さはなくて、過ごしやすい日です。私にとってはありがたいです。
だけど農作物の生育が気になります。

農作物の出来不出来は他人事ですが、すべてが結びつき関連し合っていることを知っているから、他人の不景気は私の商売の不景気にもつながってくるからです。
日本の経済が活況を呈するためには、あちらの商売もこちらの商売もうまくいって景気よくなれば全体的にスムーズに回りだすのです。
その為には政治で、経済が発展するしっかりした大枠を決めて欲しいんですが、今の政党には無理な注文なんでしょうか。
日本にこれだけ優秀で知恵ある人々がいるのに、日本丸の迷走が収まらないのはなぜでしょう。
鬱々とした思いを抱いている官僚や政治家は、今こそ声を上げるべきだと思うんです。
政治家で、オフィシャルホームページを持っていない、自分の主張をしていない政治家は、落選させるべきだと思います。
主張も無く、選挙に当選して議員の給料を貰おうと思っているような、チンケな候補者などを選ぶような選挙民でないことを願うのみです。
選択する国民が勉強したり調べたりして、自分の考えを持って選ばないと、日本国の将来が危ういものになります。
日本政治の迷走は、衆愚政治のせいでないのかというのが、私が危惧することなのですが。どうなりますか。

2009年8月15日(土)
悪い影響を与えられる場を選ばない

人はいろんなものから影響を受ける。
影響を受けないつもりでも、知らず知らずの内に自分の中に浸透している。
夏の怪談も、殺人事件のドラマも、ホラー映画も何かしらの影響を受けている。人には潜在意識があるから、理論理屈で割り切れないドロドロした奥深いところの意識が影響を受け、怪談やドラマやホラーから影響を受けた潜在意識で人を判断したり決め付けたりしていないと云えるだろうか。
だから私は悪影響を与えられる恐れがあるようなものは極力避ける。

意地悪で、暗くて、陰湿で、卑怯で、相手をおとしめることを絶えず考えている人も最初からそうだった訳ではないと思う。
相手を疑ってかかったり、騙されたり騙したり、裏切られたり、傷つけられたり、悪口を言い合ったり、そうした結果が意地悪で、陰湿で、卑怯で、相手を絶えずおとしめていることを考えている人になったと考えれないだろうか。

自分がなりたい人格に近い環境に自分をおくようにすればいい。
原因と結果の法則で、どんな人になるかも結局は自分が決めている。
いつも良い事ばかりを考えて、明るい顔で誰にでも接し、感謝、感激、感涙で、すばらしい影響を自分に与えたいものだ。

2009年8月13日(木)
生ゴミを出さないようにしたい!

私は仕事をしながら出るなま物の、例えば果物の皮やお茶やコーヒーの残りかすをゴミに出さずに、近くの地面を掘って埋めている。
ゴミに出せば焼却され、それだけ燃料がかかり、Co2が増える。
土に埋めて土に戻せば、野菜や植物になって再生される。
私一人分の仕事をしながら出るなま物だから、少ないからできるのだ。

我が家にもコンポストを置きたいと思うのだが、置く場所がないし、間違いなく家族には反対される。
ミミズコンポストという、シマミミズを使っての生ゴミを肥料にする方法もある。(ミミズコンポストの作り方
太陽を嫌うミミズを見ることはない、生ゴミを入れるとミミズは1日で自分の身体の大きさの量を土に戻す。
台所の片隅にボックスを置いて、生ゴミが出たらポイと投げ入れる、数日中に下から土になって出る。
ボックスにはシマミミズを2000匹ほど入れておけば、生ゴミはキレイに良質の土になって出てくる仕組みだ。
臭いもないそうだ。生ゴミが変じた土は、庭に撒いて植物にとっての最良のご馳走になる。
完全な循環で環境にやさしい。
だけどミミズだから、家族は大反対だ。
環境にやさしい循環型社会に、総論は誰でも賛成なのだ。しかし、いざ実行する各論に入ると反対が多くなるのはどこも同じだ。

2009年8月11日(火)
すぐに捨てるのはいいか?

私は物を捨てられないほうだ。
なんでも取っておく、使うだろう場面を想定して、必要だと判断するわけだ。
しかし使う場面は起こらずに日数だけが経っていく。
必要になったときには探すのに多くの時間を使ってしまい、面倒さに諦めてしまうことが多い。

最近の整理の本は捨てることを勧めるものが多い。
たしかに一年間使わなかったものは、捨てたほうがスペースを有効利用できるのは分かる。
しかし捨てたらゴミなんである。

使えるのに、言ってみれば命が宿っているのに、抹殺することにならないか。
エコだと言っている割に、簡単に捨てて、有効利用しないならエコにならないと思うのだ。

修行がだんだん深まると、命の尊さがわかり物が捨てられなくなります    輝いて生きる知恵 )

という言葉を見つけ、我が意を得たりと思ったのだ。

私は金沢に住んでいるので、戸室リサイクルプラザの不用品交換コーナーにいらなくなったものを登録しておいたことがある。以前、電話機と折りたたみのベッドを登録しておいたら、欲しい人が取りに来たことがあった。
ゴミとして破棄せず、有効利用されたらうれしい。
しかし不用品交換コーナーはほとんど目立たなくて活用されていないようだ。
町内に場所があれば、使えるが邪魔になるからもらって欲しい人が登録し、町内の掲示板に張り出し、欲しい人がもらいに行けばよい。
ゴミに出すよりはいい。貰い手がなかったものは登録者が再度ゴミとして出せばよいので、システム作りが肝心だ。
不用品をヤフーのオークションに出せる人は限られていて、私などはオークションに出品するまでや配送の手間を考えるとやる気が失せてしまう。
ネットのeーまちタウンに登録する事もできる。
広範囲すぎてリサイクルだけに使っていない集まる場所のようなサイトだ。

ゴミ捨て場所を回って回収して歩くリサイクル業者も多い。
現在はオークションの値段が下がって、リサイクル業者が以前に出した3分の1の値段しか付かないそうなのだ。
業者が持っていくのは禁止して、無料で欲しい人にあげるようにする交換の場が活発になれば、物の命も全うされてエコになるんじゃないだろうか。

私は使うときに使いたいものがどこにあるか分からずに過ぎてしまって経ってから、ここにあったんだと発見する事がある。
自分の持ち物をデーターベースに登録して、検索したらその物の保管場所が分かるようにしたいといつも思う。
そのシステムを広げて、他の人のデーターベースにアクセスして、私が必要としている物を見つけたら小額のお礼で使えたらいいと思う。
買ったら保管の問題が発生する。
必要な時に使いたいだけなのだ。
小物ではリースなどないから、有志が持ち寄ってデーターベース化して、融通し遭えば持つ必要がなくなる。
そのためのネックは、人間の資質だろう。
協調性や借りても返さない人などで人的システムは簡単に崩壊する。
狭い顔の見える空間でのシステムだからうまくいくと思うが、オークションの評価する方法を導入して、参加する資質を迷惑をかけない一定以上の資質の人にする手もある。

2009年8月10日(月)
101歳に負けた!

8月2日に松原泰道が死んだ。101歳だった。
それで、今は松原泰道の本を読んでいる。
101歳で寝起きも自分でできない体ながら、その言葉は私にまで影響を与えた。
好きな人の一人である。

松原泰道は夜7、8時ころには床に就く。
寝る時に眼鏡をはずし、孫の位牌の前に置き
「適当な時間に起こしておくれ」と合掌して寝る。
1時から3時ころに起きて、起こしてくれた孫の位牌に声をかける。
それから6時半まで勉強するのを日課にしていた。

101歳に負けている。
101歳の努力に引き比べ、わが身を反省する。
まだまだ私は努力が足りないと痛切に思う。

2009年8月6日(木)
低体温を解消するには

私の娘も低体温です。
低体温で何が困るかと云えば、寝起きが悪い事でしょう。
手足が冷えて寝付けない、起きても布団から離れられないなどが起こります。体温が36.5℃より低いと免疫力は低下し、風邪などを引きやすく、引くと治りにくいなどがあります。
原因はチョコレートや菓子を主食のようにして食べたり、運動不足で毛細血管が発達しないことがあります。
治すには、反対にすればいいので、菓子を食べない、ペットボトル飲料を飲まない、運動をすればいいのです。
日頃薄着はしない、腹を冷やさない、冷やす飲み物食べ物をとらないことです。
運動の効用は、身体に60兆個ある細胞を活性化し、カロリーを一番消費する筋肉繊維を鍛えて基礎代謝を上げ、太りにくい体になります。
運動は、血管を太くし、毛細血管を発達させ、手足の先まで栄養と酸素を届けられる身体に変えます。
運動をすると、寝つきが良くなり、寝ている状態の副交感神経優位の時は、身体をメンテナンスする時間で、人間の身体は発熱機械なので、発熱することで細菌を殺し、運動でできた骨の微細なクラークや筋肉のコリを修復します。
人間の細胞がすべて入れ替わるのは、1年数ヶ月を要します。身体を作るのに、何を食べるかが大事ですが、加工食品でない新鮮な植物性食材を選ぶ事によって、細胞を理想的に入れ替えることができます。
運動を続けることによって、メタボは解消し、疲れにくい身体になります。
運動はウオーキングでもいいし、走らなくてもいい部屋でテレビを見ながらでもできる運動もあります。
スローステップ運動です。

階段くらいの高さの台が1段あれば、それに上がったり下りたりすればいいのです。
運動は自分の身体を自分で作るつもりで、取り組むことです。
少しでいいから、毎日続けられる運動がよい。

私の自慢は1時間連続で運動しても、息が上がらないことです。
運動を終った時に、呼吸が乱れなくなったら、私のようにスポーツ心臓になっているでしょう。
「体温を上げると健康になる」を読んでみるか。

2009年8月3日(月)
石鹸を使わずツルツル!

1月18日に「絶対にかぜをひかない秘訣と石鹸を使わないで美肌になる妙案」という本の紹介をして、風邪を引かない方法を書いたんですが、もう一つの「石鹸を使わないで美肌になる妙案」の方の結果報告を書きます。
実を言うと、1月18日以降は身体を洗うときに石鹸を使っていません。
半年以上の体験を基にしているから、机上の空論とは違います。
体験に裏打ちされています。
しかし、やることは、タオルでゴシゴシとこするだけです。
石鹸は使わなくても、こすったタオルを洗うと肌の角質であるアカはびっちりと落ちています。本が云うように毛穴に石鹸の粒子や成分が入るかどうかは分かりませんが、石鹸を使わなければ入る恐れもありません。
ただ私の場合、足だけは石鹸を使って洗っています。
足は角質も硬そうだし、石鹸の成分が汗腺に入ることもないだろうと思ったからです。それに水虫菌は絶対落として殺菌したいと思うからです。
汗腺からでる油を石鹸で落とさないことを気にしません。
石鹸で落としたからいいかというと、汗腺からの油は流れっぱなしで人間に必要な皮膜を作り、余分なものをタオルでこすり落とすだけで充分で、石鹸で分解して全て無くすと免疫力を無くす恐れもあります。
体験結果から云うと、石鹸を使う必要はない。
タオルでこすればアカは全て落ちるが結論です。

2009年8月1日(土)
対外離脱したい?

モンロー研究所をご存知だろうか?
モンロー研究所関連の本も多く出版されている。
右脳からの音と、左脳からの音を、脳で同調させることにより、瞑想すると対外離脱しやすくなるというものだ。
モンロー研究所のセッションで、グループで対外離脱を経験し、実験を繰り返したものも本になっている。
対外離脱を経験した参加者が後でどういう経験をしたか話し合って、夢か実際かを検証していることはもちろんだ。

しかしモンロー研究所での瞑想誘導は英語でされる。
それも少しくらい英語が出来るくらいではダメで、ネイティブでないとダメなのだ。それで私は本を読むだけで諦めていたのだが、最近日本支部が出来たのだ。
それで日本語での誘導瞑想がされるようになったので、私も対外離脱や死後体験をしたいものだと、現在この道に続くCDを使って自分の内面を掘り起こしている。

いつかきっと、対外離脱をして一瞬に壁をすり抜け、あなたの枕元に立つかも知れない。どこで何をしていてもすべて知られると思って行動したほうがいいよ。

私が対外離脱をしている間、身体から延びる魂の糸を切ってもらっては困るよ。この世に帰って来れなくなる。

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