スタッフのつぶやき 下へ
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2009年12月31日(木)
アジアに経済の基点を移そう

この1年の不景気は記録に残るでしょう。
エコ技術開発で好景気がくるのでしょうか?

民主党の対応は、アメリカを中心とした、アメリカ一極中心の経済を,、アジア中心の経済に持って行こうとして、ヨーロッパやインドや中国を回って、首脳会談をしているのだと思います。
正しいやり方だと思います。

アメリカは情報機関と軍事産業と政府が一体になり、アメリカ経済が優位になるように戦略を考え、世界的にプロパガンダを流し、敵を作って戦争をすることでインフレを作り世界経済の中心になって来ました。
30年後にアメリカの国家機密が明らかにされたなかに、アメリカの謀略が明らかです。
日本と戦争をするオレンジ計画はだいぶ前から計画されていたし、日本に戦争を起させるために絶対飲めないハルノートを突きつけ、日本の真珠湾攻撃もアメリカは把握していて大統領に報告しながら回避行動を起さず、ボロ舟だけ置いた真珠湾を攻撃させ、だまし討ちと日本の非をあおることで、アメリカの方から戦争は仕掛けないを公約に当選した大統領が戦争を起す口実にしたのでした。

これらを見ても今までのアメリカの歴史は、計画的で打算的に自国の軍人の命も犠牲にしながら、アメリカの利益を拡大してきたのがアメリカの歴史です。
アメリカは、アメリカ発の金融恐慌に何の責任も取らず、これまでと同じようにアメリカ中心の経済を続けていけば、いつかまたアメリカの罠に掛かって、世界中の金を吸い取られかねません。
アングロサクソンの横暴を許さず、アメリカ一国集中を防ぐ狙いが、各国と安全保障条約を結び、各国が密度を深め情報網を形成し経済を協調していくことにあります。
テロ対策といいながら、テロの情報はアメリカがすべて握っている現状では自作自演でも他国には分からないのだ。

軍事産業がアメリカの柱であることは変らない。
アメリカは敵がいないと具合が悪い。
敵があってアメリカの軍事力も価値があり、他国もアメリカが自由の盟主と思えば、アメリカの軍事費の一翼を担おうとするだろう。
テロという敵は、仮想敵のようにどこまでも際限が無い。
アメリカと距離を置いて、よその国と仲良くしていったほうがいい。
ただ袖を振るには相手が悪い。何をするか分からない相手だ、裏で謀略の限りを尽くしてくるだろう。
現に総理や小沢氏の問題を探し出しほじくり返したのはアメリカの諜報機関でないのか。自民党では無いような気がする。

2009年12月30日(水)
手のしびれは超能力の目覚めか?

ここ1ヶ月ほど左手がしびれる。
運動をやり過ぎの腱鞘炎なのだ。
腱鞘炎も4回目だから、分かっているから医者にも行っていない。今もこうしてキーボードを打っているから、治らないのだ。手をまったく使わない仕事なら治りも早いだろうが、手を動かさないわけにはいかないから、腱鞘炎の治りが遅いのだ。

腱鞘炎のしびれを意識した時、しびれている手からパワーが出ているかも知れないという考えが浮かんだ。
超能力者である。
手かざしでたちまち病気を治すのだ。
エドガーケーシーみたいに、高塚光のように、私も「光の手」にと考えたら嬉しくなった。
さっきまで手のしびれで何も出来ないとしょげているのが、一つの着想で心までウキウキしてしまう。
我ながら単純なのである。
左手からパワーが出ているかどうか、早速試してみないといけない。近すぎる人では笑い出して真面目に受け取ろうとしないから、まったく知らない人で、体調が悪い人に試してみたいものだ。
店は衛生的でゴキブリなどいないが、たまたまそばを通ったゴキブリに手をかざしてみた。
いや、ゴキブリを元気にしてどうする。止めた。

癒しの手を持てても、医療行為は医者しか出来ないことになっている。医師法違反になるのだ。昔、医師法が通って手かざしでお金を貰って治すことが出来なくなって、高塚光がテレビで廃業宣言の番組をやった。私はテレビで神田正樹がスキーで痛めた腕を治してもらったのを見た。肩を痛めて引退した人プロ野球のピッチャーが肩を治してもらって、「もっと先に会っていれば引退しなかったのに」と悔しがっていた。

私が病人をどんどんと治してしまったら、病院は上がったり日本医師会がゴルゴ13を雇って付け狙われないか。

妄想が膨らむのを楽しんでいるのだ。
「妄想が湧くほどに店はヒマなんかい?」
いや、ちょっとボーっとしていると、意識が別の方に行って、戻ってこなくなる。私の悪い癖だ。
一人で居ても退屈しなくて済むのだ。
妄想と想像力と着想力は、兄弟なのだ。
だから私の視点論点を鍛えるにも、何がしかの力になっている・・・・かも知れない。

妄想から、本当の超能力が生まれたらどうしよう。
まずは自分の頭に手かざしをして、自分の頭を高速道路網に作り変えよう。

2009年12月29日(火)
弱さを克服するためには

強い人と弱い人がいる。
どこが違うかと考える。
私も若い頃は弱かった。
なぜかと言うと、いつも得になる方を選んでいて、結果楽な方に流されていくからだ。
周りから見たら頼りにならないのだ。

同じ事を1度2度と繰り返したら、3度目は同じ事をしないものだ。
何度も繰り返す人は、ただ反応的パターンで応答してしまうのだ。
思考する、学習する事を知らない同じパターンを反応するだけでは進歩がないのだ。

出来ない事には近寄らないで離れていく人も多い。
だからいつまでも出来ないし、理解する事から逃げている。
せっかく理解できるチャンスをのがしている。
自分から何でもやろうとする人には、仕事も頼みやすい。
自分から関わる人は、積極的な分チャンスに恵まれ、新しい事を覚えていく。

私は自分に絶えず少しの負荷を掛け続けることだと思っている。
運動も、毎日続けてやると、5分しか続かなかったものが10分になり、20分になり、高速に飛ばしても息切れしない身体になる。
男は誰でもターザンになりたいのだ。だけどやらない。

読書も毎日少しずつでも読めば、少しの時間分脳が活性化される。私は寝る前に入る風呂の中で、汗が滴り落ちる20分ほどの時間が読書時間だ。睡眠時間が4時間を切るときでも、湯に浸かりながら20分ほどの時間の読書が至福のときだ。

強い自分を作るためには、習慣と密接に関係している。
良い習慣を毎日なぞれば大変そうに見えても、やる本人は結構楽しんでいる。やり続けることで苦しさがドンドンと薄らいでいき、出来る自分を自覚すると継続できるのだ。

2009年12月28日(月)
過ぎた1年を振り返って・・・

同じ1日の連続なだけなのに、暮れも押し迫ってくると、何かに追い立てられているように、気がせいてくるのは私だけではないはずです。
この時期になると、いつもやり残したことが多かったような気がして、昨年と同じで何も変ってなくて、一年間何の進歩なかったような気になって慌てるのです。
一生懸命に努力しているつもりなんですが、計画性のなさがあだになるのか、自分でもバタバタしている割には、何も実が付いてない、結果に現れていないと自覚しているのです。
この一年間を総括すると、こんな風になるでしょうか。
この反省点を踏まえて、来年はしっかりと計画を立てて、ポイントポイントごとにチェックを入れて、決めた事をコツコツと着実に拾っていって、来年の暮れには一年間で手にした結果を前に満足の笑みを浮かべるぞと思うのです。
しかし、去年の今ごろは、何を反省し、何を来年に託していたのかが、とんと思い出せないところが少し心配なところでもあります。

流れ去る時は一方通行で、老化への階段を一歩一歩知らぬ間に降り続けて、この歳まで来てしまった。
悔恨に彩られた人生など誰も送りたくはないはず。
でも人は楽しむ時間やテレビの前の時間が多くて、読書の時間や勉強の時間などは、学生の時に卒業したかのような人が多い気がする。
私は本を読もうと努力するが、細切れの数十分しか読書タイムがない。私の読書タイムは、銀行の待ち時間と、ジムのエアロバイクを漕いでいる時と、寝る前の風呂の中が唯一の読書タイムなのだ。今年は結局速読は身に付かなかった。文章を眼で追うと、思わず読んでしまうのだ。
それにページを見ただけでめくり続けると、本当に理解できているのか、はなはだ疑問なのだ。
眼で見たことが脳がどれだけ認識したのか。
車を走らせて流れる景色を見ているが、理解はしていないのと同じで、読書も見ただけでは理解できないのではないかなどと思ったり、疑ってばかりいる心が進展を拒むのかも知れない。
行方不明だった速読のセットも出てきたので、来年は速読に再挑戦して3分くらいで本を1冊読んで、万巻の書を読破して、賢い人になるのだ。

2009年12月26日(土)
大掃除、まだです

年の瀬も押し迫って来ているのに、事務仕事をしている狭い部屋でさえまだ掃除をしていない。
店も窓が無いから埃が溜まる一方だ。
店はススを祓おうとすると、空気中に埃を巻き上げる結果になるのではないかと出来ない。
申し訳程度に濡れ雑巾で拭いて、埃を雑巾の方に移行させて綺麗にしようとするくらいだ。

掃除を頼んでいる人はいるのだが、高いところは対象外と思っているようで、床だけの掃除機掛けだけをやっている。

私は神道の檀家なのだ。
神道は「祓い給え、清め給え」と潔癖なのだ。
よって、檀家である私は潔癖だということになる。
潔癖な私は、店で出る紙おしぼりを使って、そこらじゅうを拭いて回る。タバコのタールで、たちまち純白の紙おしぼりはどどめ色に変色する。

掃除は、心の掃除にも通じるのだそうだ。
だから私は絶えず心の掃除をしていることになる。
禅では、掃除は修行の基本的だそうだ。
掃いても、掃いても、落ちてくる落ち葉を飽きもせずに掃除できるのは、掃除だけを考えてやるなら全部落ち切ってから掃き清めればいいのだが、掃除は修行だと解釈しているから、次から次と掃き終わったところに容赦なく落ちてくる落ち葉に、キレもせず黙々と掃除に向き合えるのだ。

私も、いついかなる時も、どこにいようと、修行の気持ちを持って、すべての事に向き合えればいいのだが、心は揺れ動いてばかりいて、いっときとしてじっとしてはいない。
せめて濡れ紙おしぼりで店内を拭いて、今年の大掃除と心の掃除をすることにしよう。

2009年12月25日(金)
行事が目白押し

今日は、クリスマス。
敬虔なクリスチャンなど、周りにまったく居もしないけど、よその国の宗教行事にただ乗りして、不思議とそれが定着してあっけらかんとしているのが日本人。
耳にしっかりとなじんだクリスマスソングとも今日でお別れ。
次は大晦日と正月だ。
日本人は、行事大好き民族ですから
クリスマスが終れば、しめ縄を飾り、大晦日に紅白歌合戦を聴いて、除夜の鐘をつく、おせち料理を食べ、年越しそばを食べながら、行く年来る年かカウントダウンだ。
初夢を見て、年賀状をチェックして、雑煮餅を食べて、初詣に行き、お年玉を催促され、初売りで福袋を買う。
毎年繰り返されることをやって、歳を重ねていくんだな。
クリスマスから、正月に掛けては、日本人に産まれた事が1番ありがたいと思う時期なんだ。

新しい年に向けて、しっかりと仕事をしないといけない。
ヴェネチィアに来るのが、お客さんの楽しみの行事。
いっぱい遊びにいらしてくださいね。

2009年12月23日(水)
どの産業で食っていくのか?

アメリカのサブプライムローンと、それに続くリーマンブラザーズの破綻のリーマンショックは、世界のお金の流れを止めただけでなく、金融商品への投資から遠のかせる結果になった。
投機マネーに見られる汚さ、資本主義の幻想は壊れ、金金金の資本主義に辟易している。
金持ちになることはアメリカンドリーム実現ではなく、ただ我欲を満足させる醜悪さを多くの人が感じ取り、いまや資本主義に幻滅しているのだ。
金が金を生む金融商品が、再度盛り上がるとは思えないが、さりとてどちらの方向に進むべきかという問題が課題になっている。
以前アメリカで、産業が中国などに移って空洞化したときに、金融でやっていくことを選択して、この結果になった。
アメリカの金融が破綻した今、この先も金融で世界中の金を集め利益を得ようとするのか。
日本も物作りでは、会社が中国など人件費の安い国に移って空洞化が広がっている。日本の人件費はどんどん安くなっているが、それでも中国の人件費は日本の何十分の1だ。
日本はアメリカに代わって金融の方向に行くのか。
日本人は真面目と正直だけで世界に向き合ってきたから、金融のような思惑が先行する読みと仕掛け、物語性で上がり下がりする金融には全く不向きだと思える。
人知れずどこかで誰かが脚本を書いて、世界中の人々を巻き込んで利益を得ようと虎視眈々と狙っているのだろう。

私はいつまでの仕事ができて、何がしかの生活費が手に入って、暮らしていかれさえすれば、それでいいのだが、目まぐるしく変動する世界情勢は、いつでも簡単に私の小さな望みなど吹き飛ばすだろうから、世の中の動きを読むことを怠るわけにもいかないのだ。
高性能エンジンをぶん回して、高みを目指すよりも、エンジンの無いグライダーでも乱気流に巻き込まれないように気流を読みながら、少しでもいい上昇気流を掴んで、無音な静かな室内で過ぎていく景色を眺めながら安穏に暮らしたいものだ。

2009年12月22日(火)
就職氷河期の選択は?

就職氷河期の今は、個人も大変だが、会社も仕事がまったく入ってこないから大変だ。新聞によく会社更生法を申請などと載っている。つまり潰れたんだ。
銀行が融資をするとき、会社の連帯保証人は社長に頼む。会社が潰れれば、保証人の社長は資産をすべて失うことになる。 個人は会社を辞めればいいが、社長はすべてを失うのだ。 だから社長は、自分の給料を自分で決めれる存在です。
大会社もつぶれる時代です。サラリーマンがいいのか、公務員がいいのか、小さくても一国一城のあるじの中小零細企業の社長がいいのか、結果論でしかありませんが、それでもできれば牛の尻尾よりも、鶏の頭が私ならいい。
余命いくばくも無い年寄り達に「もっとやりたかったこと」を聞くと、アメリカの例だが、「もっと冒険をすべきだった」「可能性を試すべきだった」という悔恨が一番多いのだという。
社会は厳しさを増しているが、ここ一番と言うときに一歩踏み出す勇気を常に胆に命じて暮らしたいものだ。
すべての命がついえる命。
昨日と同じ今日を生きる、平坦な道など真っ平ゴメンだ。上下動を繰り返す変動だけの日々は嫌だが、発展の可能性を問える自分でいたいと思う。

2009年12月19日(土)
今、留学経験者は・・・

留学したことがある日本人は、世界から日本を見て、日本に住むか、別の国に住むかを思案している。
日本に住むとしたら、日本政府が作った赤字国債を背負わされる事になる。
真っ平ゴメンだと考える人が多く、多くの有能な若い人が日本を離れている。
言葉が不自由なく、日本に住まねばならないこだわりがなかったら、ハワイ当たりに移住して、政府が押し付ける増税や、税金が国債返済に使われることの難から逃れたいと思うのだ。
私の様に日本語しか話せない庶民は、火の車の日本政府と道連れしか選択肢はない。
日本を再度、日出ずる国として再興したいものだ。

2009年12月17日(木)
今年も積み残したままか・・・

師走の慌ただしさもいよいよ迫って、年の瀬に気がせくばかり、何も片付かず、やる事はあれもこれもと次から次と出てきて、楽をしたがる身体は、物憂げにゆっくりとしか反応せず、今年も積み残した荷物を来年に持ち越すのでしょうか。
毎年の事ながら、進歩が感じられない繰り返す対応に、すっかりと自分を見限っているかのように、ため息と共に自虐的な感情を吐き出し、年の瀬が今年も暮れていく。
暗い社会状況も手伝って、気持ちは晴れやかになれず、北陸の垂れ込めた黒雲のように鬱々と日々を送る。

燃える種火はしっかりと奥深くに残しておけ。
時期が来たら飛び出すための準備を怠るな。
夜明け前に暗いことは決まっている。
成功者はピンチをくぐり抜けてチャンスを掴んでいる。
黒船が来たから日本人が目覚めたように、ピンチや外圧は日本人に起爆剤の作用をする。
地球的なピンチに、何も出来ない自分を抱えながら、少しでも解読を試みようと、進行中の歴史に焦点を合わしている。
自分の役割はなんなのだろう。
課せられた役割があるのなら、果たしたいものだ。

2009年12月15日(火)
ドルから脱するために

リーマンショック以来ドルが売られている。
基軸通貨としてのドルが揺らいでいる。
貨幣価値はご存知のように人々の信頼があって、価値を保っている。世界の盟主たるアメリカは力を持って世界に君臨してきた。
情報化社会の中、アメリカ政府が何をやってきたか、世界平和や環境維持やグローバル社会への責任をまったく取っていず、アメリカの利益のみを優先させている事を、いまや各国政府要人は認識している。
現在もアメリカは自由の擁護の基に戦争をしている。
ドルへの不信と言うより、アメリカ政府への不信感が広がっている。


私はこうすべきだと思うのだ。
ユーロと円と人民元が、現在のレートで世界銀行から統一通貨を発行する。
ドルは現在基軸通貨だから、ユーロと円と元の統一通貨を快く思っていないから、ドル抜きの統一通貨を作り、アメリカもどうですかと後から誘うのだ。
世界の基軸通貨は、統一通貨が絶対多数になるからドルではなくユーロ円元の統一通貨が基軸通貨になる。
統一通貨と、各国間の通貨レートの変動は大きく作用しない。
統一通貨は各国の協調の基に発行されるから、アメリカ一国の意向で基軸通貨のドルが上下したようなことは防げる。

統一通貨の現物はヨーロッパにいっても中国に行っても、交換レートを介さずそのまま使えるから、貿易はEU統合のように飛躍的に伸びる。国境はもっぱら人の往来のためにあるようになり、行き来も飛躍的に増える。

2009年12月14日(月)
沖縄に基地はいらない

沖縄で米兵によるひき逃げ事件がありました。
アメリカ軍に対して引き渡し要求をしています。
問題は、アメリカ兵を日本国内のことであっても、日本の法律で裁けない不平等地位協定があるからです。
こういう問題を抱えたまま、アメリカ軍の沖縄の基地を存続させるかどうかが現在問われています。
日米軍事同盟は必要ですが、基地はいらないというのは、こういうことが起こるからです。
沖縄の人々の多数は基地に反対です。
私は沖縄の民意を優先し、沖縄にアメリカ軍が駐留することに反対です。

基地がグアムにあっても、北朝鮮がテポドンを発射したとしても、グアムからファントムで数分の内に、北朝鮮をピンポイントで叩けます。
空母があれば、沖縄基地がなくてもファントムの離着陸には支障がありません。
アメリカが協力的でないなら、中国やロシアに近づいてアメリカを揺さぶりましょう。アメリカにとって日本が必要ですが、日本を軽視しています。対等ないい関係を築くには言うべきことを言って、論理で負けない強さがなければなりません。
鳩山さん小沢さん、しっかり頑張って!
民主党、ここが踏ん張りどころだ。
国民がこぞって応援している。

2009年12月12日(土)
夜明け前の暗さはまだ続く

社会変動の荒波に適応できない人が多勢出現している状況です。どんな状況下でも明るさをめざして自助努力で状況を脱して行きたいものですが、個人の努力では無理なところは日本人得意のチーム力で集団で乗り切りたいものです。
ただこのところ日本も悪い意味での個人主義がはびこって勝手わがまま主義になっているようにも感じます。
自分さえ良ければ他人を押しのけても我を通す醜さがあります。
恥の文化の恥の意識が薄れたためだと言われます。
個人主義に伴う責任と義務を認識して、日本企業にあった集団で目標に向かう力も自分の中に持ちたいものだと思います。

暗い社会であればあるほど、足元を見つめ毎日の努力を積み重ねる小さな一歩のあゆみを大事に過ごすべきだと思います。
日本社会を覆う閉塞感は、同時に世界中の閉塞感でもあって、行き場のない窒息状況の反動がお笑いブームとなっているように思えます。
Co2を抑えてなおかつ持続可能な社会を作れるかは、今まではひとえに日本の技術力に世界中が依存していたように、日本の技術力を維持するには、老人の福祉や医療費に予算を配分するよりも、教育や子供手当ての若い世代へと、老人から若者へと予算をシフトしていかねばなりません。

民主党政権に望みたい事は、将来に不安を覚えずに貯蓄のお金を今の自分のために使ってもいいなと思える政策を作って、郵貯に溜まった個人資産を私たちが使いたくなるようにしてほしい。
お金はある。世界旅行もしたい。だけど出来ないのが現実なのだ。それは将来が不安だからだ。
打破するには、将来への見通しと安心な計画立案が政府が示せる事が必要だ。
日米安保の沖縄の嘉手納基地をどうするの問題も重要だが、日米安保は必要だが基地はいらないのが本当のところだ。
日本に基地を置かなくても安保条約は締結できるのではないか。
安保条約は北朝鮮一国への備えであるのが現実だ。
北朝鮮が開かれた社会になれば日米安保条約は有名無実なものとなる。
犯罪国家北朝鮮への注視と、戦争国家アメリカへの注意が必要だ。


Co2削減の技術革新前の生みの苦しみの暗さを、まだ少しガマンする必要があるだろう。

2009年12月6日(日)
アメリカ型資本主義は崩壊か?

アメリカ型の金融経済、拡大再生産やグローバリゼーションや資本の論理の、お金がお金を生むロジックは崩壊しました。
資本主義は成長の限界に達しました。
今までのように右肩上がりに経済発展を追うことを止めるときが来ました。
リーマンショックに現れたように、世界中から資金を集めたアメリカ型金融は、レバレッジなFXで莫大な利潤を追求して、外れた時の被害も大きく天文学的負債に世界有数の証券会社が吹き飛んだ。
年金資金も大損だ。地方の金融界も戻ってこない資金を前に頭を抱えている銀行やJAが多いのだ。

日銀は銀行が潰れると社会不安になるから、大幅に円を放出している。だけどその資金が中小企業には回っていかないのが実体だ。
銀行担当者も仕事が無く、資金に窮している企業に貸せないのが実際だろう。

利益を求めて金が流れ込む暴力的な金融資本は、あまりに生活とかけ離れてリーマンショックを期に反省と違う方法を模索する動きが広がっている。

基軸通貨ドルに背を向け、円やユーロや元を持ち寄って、世界紙幣を作るときがきた。
世界統一紙幣を作り、円やユーロや元のレートで世界紙幣と交換する。しばらくは世界紙幣と各国の紙幣が共存して使われるが交換が進めばすべてが世界紙幣になる。
日本からは日銀が世界銀行で管理にあたる。
アメリカの世紀の終焉である。

人間の生活や地域に密着した顔の見えるお金の流れをさぐる動きがある。
手作りで必要なところにお金を集めて貸して、リターンは株主優待券のように利用権や割引券の形で、利潤を目的としない。
お互いが顔の見える関係で、賛同共感した人がお金を出して、関係性が価値があるような、暖かいお金のつながりを模索しているのだ。

その一つが小さなお金の流れを人間関係を元に作ることだ。
人間の喜びは人に喜んでもらえたとか、役に立っているとかが大きな喜びになる。小さなお金の流れを手作りで作ることで地域で有機的な繋がりが生まれる。
そんなお金を伴う運動に注目して行きたい。

2009年12月5日(土)
自殺者3万人、もろすぎる

年間3万人の自殺者が出る社会に、何とかせねばの議論が巻き起こっている。

バブルの頃に不労所得のお金に目がくらみ、毎晩飲めや歌えの大盤振る舞いと、不景気になるとガックリと肩を落とし、もうダメだと落胆する。
どちらも同じ根っこから産まれてくる現象ではないか?

資本主義ではゼロサムで、プラスがあればマイナスもある。合計すればゼロなのだ。
ゼロになると分かっていれば、いいときにしっかりと残しておけばいいだけのこと。
どんな場合でも生活の質を変えずに、質素に生活できるかどうかだ。
豊かで豪華なセレブ気分の生活を送った人が、庶民の生活にもう一度生活の質を落とすのは至難のワザだ。

頂点にいた人が、すべてを失ってネットカフェー暮らしをしていたら、心の中の凋落ぶりはいかほどかと思う。
云ってみれば底辺にいるときこそ、その人間の真価が問われるときで、そんな時こそ、どこ吹く風で暮らしたいものだ。
常に「自分が今試されている」と、自分を客体視して、最悪の感情に埋没するのを防げばいい。
「嵐もいつかは止む」でもいいし、自分なりの言葉で自分を鼓舞できたり納得できたりすればいい。

主体性をもって向き合えば、大変な社会状況でも自己実現できるものがあると信じたい。
マイナスも、自分を鍛える肥やしになると思えば、落胆せずに大変な状況を喜ぶ事も出来る。
捉え方、考え方一つで、「よし、やるぞ」ともなるのが人間だ。
今のこのとき、抵抗力のある、免疫力のある心を獲得したいと思う。

2009年12月3日(木)
感覚が、適応が、・・・ズレていく!?

毎年の事ながら、師走の声を聞いても実感が無い。
テレビでクリスマスソングをやっていて、変な違和感に襲われる。
私の中の感覚がおかしいのだ。

経済は世界中を巻き込み、東方の端の地方にいても影響は同じように及んでくる。
オバマ大統領の演説もリアルタイムで聴けるのに、私の頭は前時代的に横文字カタカナに弱いのだ。
検索辞書でカタカナ語をすぐに調べてみても、調べた端から忘れていく。
時代に私が適応できていないのだ。


時代と自分との乖離を少し感じながら暮らしている。
時代と自分が、社会と自分が、歳とともに乖離する想像に慄然となる。
パソコンやインターネットが疎い人は、時代や社会と自分が乖離している状況にやるせなさを感じているのではないかと思う。
昔は人間のレベルに何も違いはなかった。
しかし、現在は、年代や、産まれ環境や、仕事の種類で、パソコンやインターネットに接するかどうかが決まる。
昔ながらの仕事では、ネット環境の恩恵を受ける事も無く過ぎてゆくだろう。
しかし、携帯電話をモバイルパソコンとして使いこなしている人も多く居るので、やはり興味の強さか。
私も興味の湧かないものは、いくらおもしろいと云われても全くやる気が起きない。
現代に起こっていることは、すべて体験したりしてみたいと思いながら、ミーハーでいると社会の表層に流れ、本当に必要な物を逃してしまう恐れも有ると考える。
そんな、いろんな思いにさいなまれながら、変化にとんだストレス社会を生きていくんだなと思うこの頃です。

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