店長のつぶやき 2010H22年 4月 下へ
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2010年4月30日(金)
沖縄の基地を竹島に

沖縄基地移転問題をどうするか。
日米同盟を堅持するなら、沖縄以外のどこかに移転する必要がある。
辺野古の沖合に、くい打ち桟橋方式で滑走路を造る案も沖縄住民は反対している。
戦中から沖縄住民には大変な犠牲を強いて、沖縄の暗部があったからこそ日本は平和を享受できていた。
これ以上、沖縄の人々に犠牲を強いるべきではない。

鹿児島県・徳之島へのヘリ部隊などの移転案は鹿児島県民が反対している。

私は提案したい。
日本国民誰もが反対しない最適な場所に、くい打ち桟橋方式で滑走路は軍事施設を作るのだ。
誰もが、反対しない場所とは
竹島である。
日韓の論争の種になっている竹島にこそ、米軍基地を作るべきだ。
竹島は北朝鮮にも近く、テポドンが飛んでくる軌跡の下で米軍はミサイルを狙える。
竹島なら誰も反対しない。
くい打ち桟橋方式だけでなく、日本とアメリカの技術を合わせれば
浮き桟橋方式(ポンツーン)の基地を作ることも可能だ。
竹島を中心にして、浮き桟橋を風の方向に合わせて回して移動する方式にしたら、どんな強風かでも離着陸が可能になる。

話しが奇想天外で漫画チックになってきたから、ここらで止めとこう。

2010年4月24日(土)
職場と家庭以外の人間関係ある?

人は狭い範囲で生きている。
男なら、職場と家庭の往復だ。
外出は、ジムに行ったり、外食に行ったり、買い物に行ったりで終る。

私は森林ボランティアに行く。
森で仕事をすると,、日頃とまるで違うからすべてが新鮮に感じられる。
セミナーにもよく行く。
これもよい息抜きになっている。
県民開放講座も、参加科目を目を皿にして探している。
次々とあれもこれもと手を出す。
知識は広がり、息抜きには最適だ。

私たちは自分の活動を通して社会を理解する。
活動が幅広ければ、社会の色んな断面を理解できる。

職場や家庭で行き詰ったら、救いようがなくなる。
あれもこれもと少し手を広げて、色んな人と関わってみることが必要で無いかと思うのだ。

日本人は内向的だから、特に読書家とパソコンオタクは意識して職場以外の人間関係にコンタクトを取ろう。

2010年4月23日(金)
日本中が病んでいる

多くの人が病んでいる。
日本社会も、世界中もが元気が無い。
社会が、ずーっといつまでも発展して住みやすい社会になると思っていた期待が崩れ、温暖化でCO2を出せず、焼却炉も焚き火や野焼きもできない世の中なのだ。
仕事は賃金の安い中国やアジアに取られ、日本の労働者も世界の先進国の労働者も、単純労働者は賃金が下がる一方だ。
自分では解決の出来ない状況になると、人間は自滅の道をたどることになる。
身体や心に、自分の置かれた状況のひずみが現れるのだ。
昨今の日本の状況に、追い詰められ出口の無い鬱積が精神病の蔓延となって現れている。

日本社会に宗教がないのも大きな一因だ。
アメリカやヨーロッパは、教会がカウンセラーの役目をしている。
日本には、カウンセラーや精神科医の役目をする宗教がない。 お寺も神社も役目を果たせない。

日本では昔ながらの助け合いも地域が分断され、隣の人とも話さないことが多い。
今は血縁や地域よりも、家族と職場の人間関係だけの方がウエートが大きい。

自分の心や精神は自分でメンテナンスする必要がある。
身体が具合が悪くなったり、心が辛くて仕事に行きたく無くなったりしてからでは遅いのだ。
健康な時に、どのように過ごすか、自分の環境の中で自分にとってほっとできる状況を作るようにすればいい。
仕事があって、生活が出来れば人間はなんとかなる。
職場が無くなったり、環境が急変したりした時に、身体や心が耐えられなくなってしまう。

危急の状況になっても大丈夫な人は、常日頃から最悪の場合を想定して生活したり、本などを読み考え方の訓練を怠らなかったりする人だ。
自分に解決できない問題がある時は、手放して忘れてしまえればいい。
悩んでもどうしようもない悩みは悩まない。
悩みに効果があるのは、走ったり運動していると、あれほどの大問題が何だったか忘れてしまっている自分に気が付く、運動して忘れるくらいな悩みならと、その内にどうでも良くなってくるのだ。
自分の身体と、自分の心はしっかりと自分で健康な状態を維持できるようにしたい。

2010年4月19日(月)
どっちにする?

晴れると嬉しいが、雨が降って欲しくもある。
天気は受容するしかないが、選択する場面ではいつも二者択一を突きつけられる。

傘を持っていくのか、いかないのか。
右に行くか、左に行くか。

食事をする。
お腹がいっぱいになっても、残して捨てるのはもったいないからと食べてしまう。
食べ過ぎの栄養過多は長寿にならない。
腹7分目が一番の長寿なのだ。
残った時、食べるか食べないか、二者択一で私の命の長さは決まっていく。
私はその時いつも食べるのだ。

小さなオンオフの分岐点を通過しながら、私の人生は形作られていく。
同時には成り立たず、どちらかでしかない。
男か女かは宿命で、選択さえもできない。
私は男で、女の人生を選択できないのだ。
人は与えられた状況に従って生き、選択場面の範囲角度は大きくはない。
昨日を土台にして、今日の生活がある。

他人や社会に影響され、自分で選択する範囲はますます狭くなって、「私は・・・なんだから」と自分を規定してしまう。
ウロウロとほっつき歩いて、ぶつかって、間違いを起こし、批判され、手探りでここまで来た。
「なら」、「ねば」、「たれ」と、自分を規定して、わだちを付ける心理は、守るためには必要だったかも知れない。 地縁、血縁が薄れていく社会にあって、自立こそが必要で、自立の上に立って、ますます自己を主張して尖がっていかねばならなくなっている。
日本人の謙譲の美徳は、考えが何も無いと同じになってしまった。

今を生きる誰もが100年後には誰もいない。
将来は自分が無くなる存在であるのに、いつまでも存在するものの様に考えている。
明日が無いかもしれない我が身で、自暴自棄にならず、よく平然と暮らせるものだと我ながら思う。
生に存在できなければ、死しかない。
死に存在する事は出来ないのだ。
生死は二者択一ではない。

明暗、右左、上下、山川、長短、白黒、寒暖、美醜と言葉の上では都合がいいから2つに分けている。
現実は2つの間に細かく分割された状態がある。
二つのどちらかに分けて私を形容しても、私は私でしかない。
私は、0から100の水平レバーのどこかにあって、水平レバーの項目の数は無限にあるのだ。

決まった長さの人生を、大いに悩んで考えて迷うのが人生の行き方なら、思いっきり振幅大きく悩んで迷ってみるか。
とうに道の無いところを、当てどなくさまよい歩いている気がする。
頼るは自分のみ。
頼るべき自分が一番心もとないような気もする。

2010年4月17日(土)
大丈夫か? 糖尿病!

病気になったら医者に行って、治してもらう。
当然なのだが、なぜ病気になったのか?
病気になった原因を探って、原因を取り除かないと手術してもまた再発するようなものだ。
ガンになった人が手術しても、生活習慣がそのままで、再発を繰り返す。
健康な時に、自分がなる可能性のある病気を調べて、病気にならないように習慣を替えるべきなのだ。

私の生活習慣でこのままでは病気になると思うところはどこか...。
習慣を替えるべきところは、①酒を止めること②甘いものを食べないことだ。

前に酒を止めたが、宴会の時に私が飲まないと盛り上がらないと思って、宴会で飲むことと休みのときに飲むことを自分に許した。それがズルズルといつの間にか以前と同じように飲んでいる。
飲酒は適度に飲めばよいというが、飲むとブレーキが外れてしまう。酒飲みの意地汚さで、いつまでもどっしりと席に居座って飲み続けるのだ。 いくらでも飲みたくなるのだ。
要するにアルコール依存症だ。

アルコール依存症の怖さはよく知っている。
アルコールが切れると手が震えてきて、アルコールを飲むと震えが止まるようになる。
最後は幻聴や幻視が出てくるのだ。
自分では抑制が効かなくなって、精神科で薬をもらう。
その薬は、酒を飲むと血圧が一気に下がってひっくり返る。薬で酒を飲めない身体にするのだ。
そんなみじめな姿態をさらしたくはない。

アルコールを飲んだせいだと思うのが、運動した時に身体のキレが悪い。
アルコールのために、身体の動きが重いと感じる。
もっと活動的に動けたはずの身体が、以前のように動かない。それが許せないのだ。
アスリートのように、自分が現在持っている最大のパフォーマンスを発揮したいものだ。

お菓子も、大福や、団子や、今なら柏餅などの和菓子を、お茶受けに、コーヒーの友として食べながら仕事をしている。 間食が常時血糖を高いままにしてインスリンが出続け血管を弱らせている。

それと食べすぎだ。
腹八分目など無理で、腹いっぱいの幸福感に浸っている。
酒とお菓子は糖尿病の因子だ。
私はメタボではないが、糖尿の6割の人は痩せ型だ。


糖尿の合併症の怖さは想像を絶する。
失明、壊疽による足の切断、一生続ける血液透析など

糖尿病の症状から拾う私の状態の共通点
○足の毛細血管が破れ出血斑がある。糖尿病の細小血管障害でないか?
○後頭部の毛の生え際首筋に湿疹があり痒い。
○寝衣、肌着に甘酢っぱい体臭がある。
○小便が泡立って消えない、尿の排泄が終わっても、点々としたたる。
明確な症状ではないが、気になる所もあるので気をつけている。

私のような健康オタクが糖尿病になった日には、その他全員糖尿にならねばおかしいと思う。
例えば、私を除いた当店のほとんどがタバコを愛用して、おまけに運動不足なのだ。
他人事ながら、大丈夫なのかなと内心忸怩たるものがある。
ホットケの声が聞こえる。

2010年4月16日(金)
すべてが必然

この世で起こることに偶然はないという。
すべてが必然だという。

起こることが、すべて起こるべくして起こっているとしたら、事故も災害も、意味あることとして受け入れる事ができる。
いわゆる受容である。
自分にはこの事故の意味が分からないが、何か私に与えられる意味があるのだろうと、受容していく姿勢が一番好ましい結果につながるだろう。
姿勢は、卑屈にも、投げやりにも、あきらめにもならず、与えられた情況を受容していくことは、状況に前向きに対処できる。

自分の不運を嘆き、ブツブツと文句を並べ、誰に言うともなく天に唾する言
葉は、状況を改善する姿勢を失わせ、関係する周りを暗くして追いやり、援助や支援を引かせてしまう。
分かっているつもりでも、辛い状況になると、肩を落とし、うなだれ、自信を失う。

厳しさは、自分を引き上げる最大の教師なのだ。
しかし私はできるならピンチと言う教師には向き合いたくない。
ピンチに向き合わずとも、自分を自分で教育して引き上げる事が出来る事を示して、ピンチを回避しようと絶えず自分が出来る最大の努力をするようにしている。

運が悪い人がいる。
次々と不運が襲ってくる。
逆から見たら、厳しく試されて、ガンバレと声援を送られているのだ。
ピンチは常に叱咤激励なのだ。

2010年4月14日(水)
普天間基地問題、私はこう見る

普天間基地移設問題は難しいですね。
私は沖縄県民の民意に沿った民主党の方針に賛成です。
しかし、問題は自民党時代にアメリカと合意をして、その時は沖縄も基地賛成派の市長や県知事などで、普天間基地移設計画は辺野古沿岸を埋立ててV字配置の滑走路を建設することに合意した。
それがその後、基地反対派が市長になり反対派が県知事になって、政権も民主党になったから、自民党時代の合意は政権が変わったのだから、当然替えるべきだというものだ。

日米関係の専門家らに話を聞いても、普天間問題は日本側が解決すべきこととしているし、アメリカ政府は一歩も譲歩しない。
民主党案を、アメリカは頭から受け付けないつもりのようだ。
民主党に対して、検察庁を動かして捜査させ、日本のマスコミを動かし民主党のデマゴギーを流しているように感じられる。
自民党とアメリカの間には、国民の知らない秘密協定があった。
国民は今更自民党を選ぶことはありえないし、自民党から出て新党を結成したとしても、以前自民党にいた人ではアメリカとの間に秘密協定をする可能性は大きい。

問題は国民が小沢さんの金の問題に不信感を抱いていること、一番の問題は事業仕分けをやっても結局最高額の税金を使い国の借金を増やしたという事。
その結果として、民主党の支持率が低下した。

日本国民も日米同盟には賛成だし、ロシアや中国や韓国よりも相対的にはアメリカに信頼感を持っている。
アメリカが正義や世界平和を考えるよりも、自国の利益だけを考えていると思っても、日本国民大多数はアメリカが好きなのだ。

ただアメリカがまったく日本の決定を受け入れない時、日本はどうするかを考えておかねばならない。
日本がアメリカに頼らずに日本独自の軍事力を維持しやっていくには、日本の自衛隊も日本の経済も多くがアメリカに依存している現実がある。

アメリカも民主党より自民党の方がやりやすいのは、今までの政治工作がそのまま使えるから当然だが、だからこそ日本国民はアメリカが嫌う政党をこそ選んだほうがよい。
アメリカの描いたシナリオどおりに動く国会議員は日本にとって裏切り行為でしかない。アメリカにパイプを持っていても、日本の国益を譲らない人でないと議員にしてはいけない。
日本で民族主義が広がってアメリカが譲歩をするように振舞わないとダメなのか。日本政府も日本人もアメリカアメリカ政府に、我が政府も国民も甘く見られていることは間違いがない。
今までの自民党のていたらくが、やっと民主党になってよしと思えば、アメリカがうんと言わない。


鳩山さんは、温厚すぎて乱世の政治家のイメージが沸かない。
アクの強さは嫌いだが、アメリカとの交渉には小沢一郎や亀井静香のようなアクの強さが欲しい時もある。

小沢一郎や亀井静香を前面に立てて、アメリカの交渉に当たってもらおう。適時適役、餅は餅屋なのだ。

2010年4月10日(土)
桜と日本人を考えた

桜が満開です。
桜と日本人は、切っても切れない結びつきがある。
神道の「すがすがしさ」をよしとするのと、桜の散り際の「いさぎよさ」を好むのは日本人の精神性である。
しかし、その日本人の民族性を理解しようとする心と、世界の中の日本人を考えたときに、どう考えるべきかと悩むのだ。
日本人は、世界に開かれてなければならない、と思うと同時に、根っこを失って根無し草になるべきではない。
国の歴史を認識し、自国に誇りを持って自立せねばならないと思うのだ。
人は所詮、すべてを網羅して身につけることは不可能だから、与えられた位置で日本と世界に眼を向けて、自分の頭で理解するしかない。
誰もが理解の一片で、自己と国や世界と対峙している。


私の思考は、世界に宇宙に飛翔するが、どこに行っても日本人である自分の中に舞い戻ってくる。
日本の歴史をあまり理解しているわけでもなく、旅行以外は日本から出ていない私が、世界の理解を語っても私の中の世界観である。
しかし一方で日本人的お人よしが、世界に満ちれば世界はすぐに平和になるだろうと思うのだ。
アメリカ的合理主義民主主義の押し付けでなく、日本人のお人よしの思いやりが平和には有効ではないだろうか。

2010年4月9日(金)
ナントカなるで今まで来た

若い頃は神とか、魂とか、霊とか、まったく信じれずに、(今でもあまり信じてもいないが)唯物論のマルキストだった。
この頃は、何か表面的には悪いことが起こっても、必要だから起こっているんだろうくらいに考えている。

例えば、店でホステスさんの出入りも多い。
辞めれば困ったなと思うが、きっと何とかなるとも思う。 何もしなくていい訳ではないが、努力していればどこからか他力の風が吹くと思っている。

店は店長が悩んで考えて頑張っていても何もならない。店の売上を上げるのは、か弱いホステスさんなのだ。 強健な店長はまったくお呼びで無い。
だからなるようになる。
なるようにしかならない。と、諦観しているのだ。

流れのままに漂っているだけのような、船頭の役目も果たしていない。
それでも転覆もせずに、今まで来ている。
これを人は何ものかに生かされているというのだろうか。
これから先も、ひねもすのたりと行くのだろうか。


世界の経済も、温暖化の環境問題も、食糧問題も、日本の少子化も、エネルギー問題も、問題は目白押しなのだ。ひねもすのたりと春眠を貪るのは許されない。
蟷螂の斧と知りつつ、ブログに自分の思いを綴るしかない。
もし何者かがいて、矛盾や整合性の無いものが、最後にはうまく治まるように働いてくれているなら、現実の中を一喜一憂しながら暮らしていても、大きな存在に抱かれた安心と信頼があれば生活を楽しんでいける。


死んでも魂がもし存在できるものなら、いつの時点の魂なのか。死ぬときの魂なのか。
認知症の人は、ボケた魂で存在するのか。

魂が存在できるとしても喜ばしい事ではないのだ。
脳はボケても、魂はボケないのだろうか。

前世も、生まれ変わりも、幽体離脱も、解脱も、あったらいいが、私には経験も証明もできない。
潜在意識の中で考えた事が、顕在意識で認識しているだけで、見守られていると勘違いしているとも考えられる。ただ分からない事は、それ以上追いかけないようにしようとも思う。瞑想はやっても、それくらいまで、モンロー研究所日本支部でセッションを受けるまではやらない。
楽しみは死んだ時に残しておこう。

2010年4月3日(土)

私はこの先、円の価値も下がり、土地の値段も下がり続けると思う。 しかし、お金の価値の方が大きく下がると思う。
リーマンショックを震源にして、どんどんと影響は海外から銀行へ、企業へ、個人へと降りてきた。
仕事がなくて、大勢の失業者が溢れた。
アメリカや日本政府は本当の数字を正確に国民に伝えているのか。

今や農業がブームである。
農業をやっていたら、金持ちにはなれなくても食ってはいけるだろうの気持ちがあるからのブームでないか。
日本は衰退していくのか。
個人レベルでは自分が携わった仕事を深く掘り進めて、技術力が高い人が多いが、周りを俯瞰する知識やコミュニケーション力がない。
これから先、すべてチームとして何人かが組んで仕事を進めていくだろう。
コミニケーションの仕方を教わりも体験もしてこなかったから、共同して仕事をするのが難しい。
日本人が危機意識で一丸となれば、大きな力を発揮できると信じたい。

2010年4月2日(金)
円の単位が百になるぞ

日本政府の抱えている借金は膨大です。
1100兆と言われてもピンと来ませんが、返せる金額ではありません。 溜めに溜めたものです。

どうするか。仕方ありません。
借金を棒引きにするしか手はありません。
日本銀行が大量にお札を刷って、物は値上りして市場にはお金が溢れるようになります。
スーパーに買い物に行っても1万円札が数枚必要になります。 大きな買い物にはトランクに札束を入れて行きます。
日本政府と日銀が重大発表をおこないました。
昨日までは、単位が円でしたが、今日から単位を百にします。との発表です。
新札を発行します。
1万円札が新札1万百札になりました。
価値は旧千円札と一緒です。
1万円札と同じ価値のお札は、1億百札と呼ばれています。
今までの百円が、今日から1百となり、1円と同じです。
スーパーでも最低単位は百です。
1百は小さなアルミ製になりました。
昔の1円とそっくりです。
政府の借金は100分の1になりました。
借金をしていた人は返済するローンが少なくなりました。 でも貯金も100分の1の価値になりました。
そういえば、昔は円の前は銭だったし、そのまた昔は文(もん)だったなと思い出したときは遅い。
国の借金は、国民が払わねばならないから、結局こういう形にすり替えてつじつまを合わせないといけなくなる。
しかたない。
国債をどんどんと発行して、アメリカや各国に貢いだ政治家を選んだのは国民だもの。
日本人はもっと頭がいいと思っていたが、昔の政治家を選んだ人は馬鹿だったんだね。
この頃は、中国の漢民族が大勢日本国籍を収得して、国会議員に立候補するそうだね。
昔の北朝鮮籍の人達も、日本国籍を金で買っているらしいぞ。
外人の国会議員は、この国の呼び名を日本から、他の呼び名にしようと署名運動をしているそうだ。
純血の日本人なんて、今じゃいないから、公用語も英語になった。
あと百年もしたら、昔日本と言う国があったが、滅んでしまってねと言われるんだろうね。

悪いほうにばかり想像力が働いているんでしょうか。
国と日本人はどこに流れていくんでしょうか。
戦争に負けた日本が大丈夫だったから、この先も大丈夫と思いたいんだけど。借金まみれの日本の財布。
貧乏生活が待っているんじゃないだろうか。

アメリカがお金を増やしてあげるというから、皆が預けていたのに金を盗まれた。悪いのは俺じゃない。盗んだやつが悪いんだと言って返そうとはしない。
アメリカはケンカも強いし、ケンカするわけにもいかん。
それにしては、この頃ドルが上がってきて、アメリカのヤツ羽振りがいい。隠し金があるのと違うか?

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