店長のつぶやき 下へ
下へ
2011年12月19日(月)

あっと言う間に12月だ。

過ぎ去る時間の早さを、恨めしく思う。

今年は、思いつくままに色んなことをやった。
自分だけで決定できる事は、すぐに実行できる。
これが周りを巻き込むとなると難しい。

私は、歳を取ったら畑をやりたいと思った。
自然と共に生きる。土と共に生きる。

それが連れ合いは、反対なのだ。
サラリーマンのように、お金を運んできて欲しいと思っているのだ。
自分は、お金を受け取ってやりくりするだけの人と思っている。
世間の荒波とは無縁のところで暮らしている気なのだろう。

社会は、猛烈に変化している。
個人は、その変化に自分を適応できるのかと、私は危ぶんでいる。
私は若くは無いが、年齢に関係なく、いつでも社会の変化に適応したいと思っている。

農業は、プロになるのは大変だが、自分が食べる分を作るには家庭菜園の延長でもいけるだろう。
高齢の農業者の後を引き受けて、農業できないものかと考えている。

日本は、世界一の借金があり、将来国民年金では暮らせないだろう。
農業なら、自分の食べる分を作ればやっていける。

将来の保険になるのだ。
野菜など、スーパーで安く売っている。
スーパーで買ったほうが効率は確かにいい。

問題は確かにある。
旅行などできない事だ。

今までのように、好きな講演会やセミナーを廻り、読書にうつつを抜かすことは叶わなくなる。
農地のある田舎に住めるか?
私は、都市でジムの近くにいたいのだ。

農業に一番遠いところにいると感じているのは、自分自身かも知れない。
百姓と呼ばれる身になれるのか。
何でも百般こなせるまでには時間が足りないようにも思う。


周りの、私を見る眼の方が、当たっている場合もあるだろう。しかし、1歩でも2歩でもやってみて、無理なら引き返せばいいではないか。
好きなことをやってみる。
私は周りに迷惑をかけていく。
周りを巻き込んで、変化の中心にいるのが望みではないか。


2011年12月3日(土)
断捨離を問う

最近、「断捨離」という本が売れている。
私も一応読んでみた。
読んで、しばらく考えて、私には合わないと思った。

物を捨てよというのだ。
捨てるということは、買って存在する物を捨てるのだ。
私の身近にも、この本に影響を受けて何でも捨てたがる人がいる。

必要になったら、100均で買えばいいという。
気軽に買って、またすぐに捨てるのだ。
環境のことなど、何も考えていない。

断捨離」の本は、家に物が溢れていて、物を買わない家庭に、消費させるための戦略本でないのかと思う。
そのために全部捨てさせてすっきりさせようというのだ。
「断捨離」の思想には、「消費は美徳」の風潮が含まれていると思える。

経済を活性化させるための戦略の片棒を担がされているに過ぎないのだ。
今ある物を、いかに活用するかというのならうなずくのだが、ただ捨てろという。

私の頭には、昔ながらの思考がまだ強く存在している。
いわゆる、物が欲しいのだ。

車も、何台も欲しい。

大きな車に、珍しい車、スポーツタイプに、キャンピングカーまで、何でも欲しがる欲望がある。

船も欲しい。モーターボートや、21フィートのヨットクルーザを所有したが、1年に1、2度しか乗れずに手放した。
しかし、未練タラタラなのだ。

次は、30フィート以上のクルーザーを持ちたいと思っている。

大型バイクでツーリングもしたいし、カイトボードも欲しい、パラグライダーもやりたいし、アクアラングもしたい。

大きな家と、広い庭も欲しい。
広い庭は、手がかかるのだが、庭木に手がかかっても広いほうがよい。
そのために剪定も習ったし、寄せ植えもハンティングバスケットもできるようになった。


男は工具が大好きだ。
道具箱に、色んな工具を入れて悦になっているのは、みな男だ。私もご多聞に洩れずムサシやカーマなど、ホームセンターで工具を見るのが大好きだ。


多くのものを置くのは構わないのだ。
問題は、必要な時にどこに有るか分からないことだ。
Evernoteを使って、物の名前に保管場所や項目のタグをつけて管理できないかと考えている。
その前に、Evernoteを勉強せねばならないのだが、・・

「断捨離」で捨てようとするものは、気のせいかもっぱら私の物のような気がしてならない。

遠出をする時に使う12Vから100Vに変換する変圧器はなくなった。
寒い冬に家の中から車のエンジンをかけるスターターもなくなった。
自分で理解できないものでも、一年も使ってないと思えば捨てたほうがよいと教えるのが「断捨離」だ。

捨てるのは、「断捨離」を信奉する自分の物だけにして欲しいものだ。

私はまだ、「大きい事はいいことだ」の世界から抜け出せないで、拡張路線の中にいまだいるのだ。

上に

上に