店長のつぶやき 下へ
下へ
2012年1月30日(月)
改革で、支出をどこまで落とせるか

政治ネタは、時期を逸し後から読むと、陳腐なものになるので書きたくはないが、重要な局面なので書かずにおれない。

野田政権が行政改革、政治改革をしようとしている。
政治家の数を減らし、報酬額をカットしようとしている。

大変素晴らしいことだ。
政治家が痛みを感じてこそ国民に増税をお願いできる。

しかし、国民に増税を押しつけることはないのだ。
元々がバブルの頃に税収が大幅に増えて、当時の自民党政府は、使い道を探し大盤振る舞いをやった。
福祉が手厚くなり、研究費が増え、教科書が無料化した。
収入に合わせ、支出を増やしたのだ。

現在は、その逆である。
昔の状態に戻せばいいだけなのだ。
現在の税収入と、同じ過去の予算、支出と同じにすればいいのだ。

政治家の数を減らし、報酬額をカットして、税収並みの支出に抑えられるのか。
増税への国民の情を喚起するパフォーマンスでは困る。

お金が必要だの声は四方八方から上がる。
しかし、支出は収入に合わせて決めるものだ。

昔と違うのは、今は、ニートや失業者が大量に流出している。
生存競争の軋轢やITの進歩に不適応で、変化のはざまにいて不適応症状を起こし、生活保護を受けている人も大勢いる。

年間3万人以上の自殺者を出している背景がここにある。個人は弱く、助け合う必要性は当然だ。

これが現在の税制を圧迫している。
昔と違って税の支出を、昔とまったく同じにできないところだ。

生活保護者は、支給された生活保護費のほとんどを、アパートの家賃に消えてしまう。
あとは、大量に保存のきく食料を買い込み、最低限の生活を維持する。
膨大な有り余る時間で勉強して上に這い上がろうとする人はいない。
パチンコ屋がそれらの人の憩いの場所になっている。

私は石川県だ。
能登半島の先端は、耕作放棄地が広がっている。

政府や県は、生活保護支給の条件に、能登の畑で働くことを求めればよい。

住まなくなった民家や、廃校になった校舎を利用し、共同生活をおくれば、生活保護費の大半を占めるアパート代が要らなくなって、アパート代分の生活保護費がカットできる。

タバコを吸う人は、タバコ代を出す余裕があるとタバコ代分をカットしよう。飲酒する人は、酒代分をカットしよう。血税がタバコや酒に変わるのではたまらない。


全国の山間僻地は、受け入れるところがいっぱいある。

共同生活をできない精神的状態を抱えた人には、テントを貸し与え、自然の中での個人生活も認めよう。
自然の中に一体になっていると、少しの欝などは治ってしまう。
自然は癒し効果がある。
人間は動物で、自然の中に入ると目覚める何かがある。


被災地の学校などに寝泊まりして、ボランティアで廃材処理にあたることを条件にしてもよい。
自衛隊に一定期間入隊して鍛えてもらうのもよい。

国民の税金をもらうからには、何の作業もしないで生活保護支給を受けることを無くしよう。

生活保護費支給日に、大阪市役所に押し掛ける生活保護者の群れは、いたって健康そうに見えた。

働きたくないだけの生活保護支給者を、見分ける踏絵も必要ではないか。

2012年1月14日(土)
今日の行動を決めてくれるアプリがないか?

歳を重ね、社会を見渡せるようになったこの頃、考えてしまうのは、世のやりきれなさだ。

産まれた時に、生まれた国・父母・地方・男女・貧富などの環境やDNAでほとんど一生が決まってしまうということ。

そこから無自覚のままに誰もが人生を始める。

自意識が生まれ、自力でおかれた環境を抜け出すため努力もするが、弱さのため易
やす
きに流れ時を重ね何物にもならずに終っていく。

現状を打破する道が分かっていれば、誰もが努力するだろうに、道が分からない人が大半で、毎日を足踏み状態の中にいる。

家庭の専業主婦などはほとんどがそうでないか。
テレビのお守

りをして膨大な時間を無碍
むげ
に過ごしている。

そして家族のために自分は犠牲になっていると思っているのか。その空虚な膨大な時間を私に譲って欲しいものだ。

ネット時代、ソフトやアプリに、自分の置かれた環境と似た境遇をはめ込み、何百万といる同じ環境の人で、IQも同等で、高みに行った人が、どんな道を通って今の高みに到達したかをシュミレーションしてくれ、今日何をするかの行動を決めてくれ、その通りにすれば現状を打破できるソフトやアプリがあればと思う。

そうしたら自分の不遇を、社会のせいにしたり、環境のせいにしたりして、不満を持つが、どうしたらよいか自分では皆目分からない人々の一部を、底上げできるかも知れない。

精神の自立を果たすために、最低限読まねばならない本など読もうともしない。
他人に依存しながら生活をする人は不満を持つ。
その不満は自分に向けねばならないものだが、周りのせいにし周りに愚痴を放出し環境を害する。

その類
たぐ
いの人が救われる道があれば、日本はもっと住みやすい国になると思うのだ。

2012年1月2日(月)
自分の情動は、自分の管理化に置く

年初(ねんしょ)に、今年の抱負や目標を誓うものだが、私はこうなりたいこうありたいという、前からの思いを書こうかと思う。

自分の中から沸き起こる、喜怒哀楽の情念をコントロールしたい。

怒り、憎しみ、不満、苛立ち、投げやり、嫌悪など、頭に血がのぼり言わなくてもいいことを腹いせに言ってしまう。
有頂天、驕り、優越感、喜び、ニコニコと上機嫌で周りに笑顔を振りまいて、いつもより気分がいいことを伝えている。
あきらめ、失望、むなしさ、後悔、嫉妬、哀しみ、涙があふれどうしようもない悲しみに打ちひしがれて声もでない。
怠惰、自惚れ、甘え、楽しみばかり追いかけて進歩の無い足踏み状態の日々かも知れない。

喜怒哀楽の情念はエネルギーです。
外からの影響で、自分の中に沸き起こる感情です。


幸福でいるためには、、感情をなすがままに放っておいて、振幅の大きい感情を暴れさせていては、幸福を手にすることはできません。
幸福論は、情念を制御する事を土台にしているのです。


自分の情動を、他人の眼で見ているもう一人の自分がいます。

「ウキウキして気分がよくて多弁になっているぞ」と、自分を観察している自分がいます。

しかし、怒りのエネルギーは強く、あっという間に内側から上がってくるのです。
怒りのエネルギーを、爆発する前に、放出する前に捕まえて、自分が制御するエネルギーにしたいのです。

情念はエネルギーだから、制御して自分の有効なエネルギーに変換したいのです。

他人の行動や感情に影響を受け、自分の感情が振り回されることなく、しっかりと自分の感情の動きを観察し、一喜一憂することなく、穏やかでエネルギーに満ちた自分でいたいと思います。

上に

上に